農協の野菜

一昨日、昨日は東京に行っていたのだが、土産として農協の野菜を買って行った。

農協で買う野菜は安い。しかし、魅力はその価格だけだなくむしろ新鮮さの方にある。市場を経由せずに農家からダイレクトに販売店にやって来るので2〜3日の差がある。

そんないいことづくめの農協野菜だが、実は今年になって初めての農協での買い物だった。4か月の間、僕は農協に足を運ばずにいたのだ。


理由としては

■土日に予定が入ること増えた。
この冬以降、娘との勉強やらラッパの練習やら土日を比較的忙しく過ごしている。ウチから遠くもないが近くもない場所(自転車で15分くらい)にあるので、基本的には土日に買い物に行く。このため、足が遠のいていた。


■土日の朝、のんびりと過ごす習慣になった。
農協は朝9時の開店に合わせていかないとイイものはすぐに売れてしまう。それにはウチを8:40ごろには出発したいのだが、気が付くと9時頃になっていて、その日はもう諦めようということが何度かあった。


■シーズン的に農協野菜に惹かれなかった。
冬の間、僕がよく食べる野菜は他のスーパーでも安く売られている。大根や人参は僕の住む地方では栽培が盛んではないのだろう。スーパーのほうが安いし立派だし、せりに至っては農協には売られていない。春になり、トマトや胡瓜を食べたくなった。これらは味も値段も農協の圧勝だ。こうした「その時期に食べたい野菜」によって買いに行く店を変えるという要素が実は一番大きい。


こうした久しぶりに購入した農協野菜をどっさりと持って上京した。トマトや胡瓜、茹でた筍にタラの芽など。「火垂るの墓」で作物泥棒をしたセイタさんや「トトロ」の農家のおばあちゃんになり、妹やら近所の姉妹に美味い野菜を食べさせたいような気持ちになって野菜を東京へと運んだ。

「東京では金を出せば何でも手に入る」と言うが、コレはだいたい当たっている。都内に住んでいた時、旬の美味そうな野菜を求めて探し回ったこともある。

デパートを何軒か回れば美味そうな野菜を手に入れることは出来るけど、それでも農協の野菜ほど美味そうなものは売られていないように思った。こうしたものこそ、地方で買うべき土産なのだと強く感じた。

久しぶりにマズいものを食べた。

ゴールデンウイークが始まって、早速東京に出掛けた。

目的は息子の下宿に本棚を設置して下宿設備を完了させることと、息子の下宿で友人を交えて食事をするためだ。

下宿の様子やこの日の食事のことはまた別の機会に記すかと思うのだけど、今日は久しぶりにマズいものを食べたのでそのことを書く。

普段、僕は大抵自炊したものを食べていて、それは全て美味しい。料理をするなんて30年以上になるのだから、自分を納得させるだけのものを作るのなんて訳ないし、味見を全くせずに作るわけではないので、仮にマズいものになりそうであっても途中で軌道修正されるため、マズいものは滅多に出来上がらない。

作るのがとにかく面倒でテキトーに料理をした時には「すごく美味しいもの」ではなく「普通に食べるもの」くらいのレベルのものを食べることもあるが、この数年は「マズいもの」なんて食べた記憶がない。


さて、そんな僕が久しぶりに出会ったマズいものがこちらだ。

埼玉に行くとそこらで見かける「山田うどん」だ。
15年位前に行ったことがあるのだが、どんなものを食べてどんな味だったかの記憶はない。もしかしたら、実際には行っていないのかも知れない。

そんな山田うどんには「友人が車で来てきたので、車でしか行けないようなところで食事をしよう」との流れから、この「埼玉を代表する飲食店」に行ってみることになったのである。

そこで我々が食べたのは「かき揚げ丼とうどんともつ煮」がセットになったやつ。メニューを見るとかき揚げ丼ももつ煮も山田うどんの名物とのことだ。これがマズかった。

かき揚げ丼はスーパーの惣菜売場で売られている特に野菜の甘みとかも出ていない「とにかく安く天麩羅を作りました!」みたいものを化学調味料たっぷりの麺つゆで煮て玉子を絡めたもの。

玉子が半熟なのは良かったし、濃い味付けはメシが進む。どんぶりのメシの盛り付けもドカ盛でこいつを食べていると土方にでもなったような気持ちになる。味自体はもう食べたくないというレベルのものではないが、これにわざわざ金を払って食べようとは思わないくらいのマズさだった。


続いてうどん。
スーパーで30円くらいで売られている茹でうどん玉をほぐして、砂糖で甘みをつけた醤油の濃い蕎麦ツユみたいなのに入れたものである。関東の立ち食い蕎麦屋で出てくるうどんだ。麺には讃岐うどんのようなコシはないし、九州のうどんのようなクニュッとした靭やかさもない。単に歯を入れるとプツッと麺切れするタイプのうどんだ。

麺もツユもなんら惹かれるところのない「うどんという体を一応なしただけの食品」である。しかし、量だけはたっぷりとあり、前述の丼と相まって「炭水化物、糖質、カロリー」は容赦なく摂取できる土方仕様のメシだった。


かき揚げ丼、うどんとこれらは全く美味しくなかったのだけど、本当にマズかったのは「モツ煮」である。山田うどんではモツ煮のことを「パンチ」と称している。これは新メニューとしてモツ煮を出すことにした際に「パンチのあるメニュー名」を考えた末、そのまんま「パンチ」という名前にしたそうである。

山田うどんの名物メニューとのことだったが、あれを美味いという人はモツの臭みを「モツの芳しき香り」と捉えることの出来る稀有な才能の持ち主だ。

とにかくくさい。下処理を丁寧に行わずに作ったシロウト料理のもつ煮込みのようなくささだ。あれを名物なんて言って堂々と出すのも山田うどんの「凄い」ところだし、あれを美味そうに食べている人たちも「凄い」と思う。ひいては埼玉というところがとにかく「凄い」と思った。あんなの喜んで食べるやつもいれば、あれを胸を張って売物にする店があるのだ、とにかく凄い!


これを只で食べたとしても「無駄なもので貴重な一食分の楽しみを失ってしまった」ような気になるし、実際に僕はこんなものに金を払ってしまっているのである。

浪費や無駄遣いは本当に避けたいのだが、それでも今回の食事は面白かった。全く美味しくないしもう二度と食べないだろうが、負け惜しみではなくて本当に面白かったと今は思う。まあ、滅多に食べることのないマズいものだったのでいい勉強になったし、何がマズさの要素なのかを考えるのも楽しいものだ、もう食べないが…。

昼食のこと

季節感を感じるものを食べて生活していたいと思っているから、それなりに季節のものを食べる。


僕が中学生の頃には「貧乏家庭はエンゲル係数が高い」と習っていたが、現在の貧乏家庭はエンゲル係数が低いという見方もあるようだ。

欧米での見方の一つのようだが、低所得者層は食べるものにかけられるお金にも乏しいから、安価なインスタント食品や低価格でも高カロリーなファストフードを主に食べることで満腹感を得る傾向にある…という流れが根底にあっての考えただそうだ。

何を持って貧乏家庭などと呼ぶかは「一般には家庭の収入額」によるものだろうし、係数なんてものは数値化したものであるのが前提だから、高所得者層のほうがエンゲル係数が低くなりがちなことには間違い無いだろう。しかし、敢えて収入額だけでは量れない点でエンゲル係数のことを考えてみよう。


僕は日々の昼食に弁当を持参する。これはちゃんとした弁当でもなく、メシとなんかのオカズを容器に詰めただけのものだったり、食パンに何かを挟んでケースに入れただけのものだったりなので、弁当と呼ぶより「ウチから食品を持ち出して食べている」というのが正しい。

持ち出しメシの良いところは、まず安価なところだ。コンビニで買っても会社近くの飲食店に行っても値段と満足度が釣り合うことは多くない。

ここに全てが集約されているのだが、僕が持ち出す食品が単に安価なものばかりというとそうではない。勿論、安いものも多いが、手間のかかり方と食材によってはコンビニ弁当よりも高価だったりする。満足度は比較にならないくらい「持ち出しメシ」の方が高い。

外でこの満足感を得ようと思ったら幾らかかるのだろう。結構豪華なものを食べないとその穴は埋められそうにないし、豪華なものが必ず食べたい訳でもない。単純な昼食の価格だけでなく、何を幾らで食べるのかが重要なのだ。




ここ最近の持ち出しメシだが、どれも「前夜の夕食で作っていたものとか残り物」かと思うと、そうではなかった。いずれも弁当の為に調理して、むしろ弁当に入らなかったものを朝とか夜に食べているのだった。

1枚目の写真である「サバの塩焼きの弁当」の値段について説明してみよう。サバは一切れ50円くらい、半額で売られていたものだ。ノルウェイのものじゃないので、ちゃんとした魚の味がする。梅干は昨年の夏に漬けたもの、価格はめちゃ安い。瓶詰は山葵漬でこのひと瓶の材料費で600円くらいはすると思う。この一食で、山葵は3分の1くらい食べたからこの日の弁当代は300円くらいだろうか。

300円で買ってきたものなんてきっと満足感を得られはしない。僕はこうした弁当の支度をしていることも楽しいし、つまらん昼飯に金をかけることへの嫌悪感も人一倍だと思う。

コンビニの弁当をこのメシと比較すると高価であるに違いない。昼飯だけを切り取ってみるとコンビニ弁当の人は僕よりもエンゲル係数は高い。

しかし、作ったり買ってきたりするのが嫌で、とにかく外でそれなりに美味しいものを食べていたい人は、もっとお金を使うだろう。

この3パターンが「同じ収入」だとすると、昼食におけるエンゲル係数
①外食で美味しいものを食べる人
②コンビニで買ってきて食べる人
③持ち出しメシを食べる人  の順になる。

では、持ち出しメシを食べるかどうかでエンゲル係数の高低が決まるかというと「豪華なものを買っておいてそれを料理して弁当にする人」なんかがいると、その順位もぐしゃぐしゃになる。

ベランダ菜園における今後の計画

昨日は夏のような暑さだった。
と言っても、暑苦しいような暑さではないから、夏を思わせるような春の暑さだったのだろう。

ついこの間まで分厚いヒートテックを着て革ジャンを着ても寒かったりしたのに、カットソーの上にジージャンを羽織ると暑いくらいの気候だ。

この気候のお陰でベランダ菜園の植物たちの成長もますます進んでいる。


蕾をつけたパセリは更に丈を伸ばし、僕の身長を抜くほどに育った。茎なんて直径2センチになろうかという程でこのままパセリの木になってくれるといいのにと思うくらいだ。

去年の経験からすると、ここから種が取れるまでが長い。花を咲かせて種をつけ始めてから、更に次々に…と言うより、だらだらと別の花を咲かせていく。この株が持っている「花を咲かせる能力」を限界まで全うさせてやろうとすると、種を収穫するのは秋になってからになるのではないかと思っている。

…だとすると、これから半年くらいはこのパセリを植えているプランターはこいつに占拠され、ここに別の植物を植えるのも秋以降になるのだろう。


このパセリとは別に日々葉をむしっては食べるためにもう1つパセリを植えたプランターがあるのだけど、このパセリも隙きあらば花を咲かせようとしている。

葉があまり茂らないうちに摘み取って過剰なくらいに料理に使っているのだけど、この葉っぱが固くなってきた。しなやかな香草ではなく、どこかの道端の草を無理矢理に食べるような固さをもったものまである始末だ。

花芽を摘み取って花を咲かせないようにしているものの、そうやってみたところで食用に適さない方にどんどん成長しているように思われる。


イタリアンパセリは買うと高いがプランターに植えると本当に簡単で、尚且いろいろな料理に使えるので四季を通じて常備しておきたい植物だ。

そんなこともあり、近日中にプランターを増設して夏頃から収穫出来るイタリアンパセリを育てていきたい。同じ畑を使っているわけではないが二期作と言うか、1.5期作のような感じで常に柔らかなパセリの葉を収穫出来る体制が理想だ。


あと、3月に種を蒔いた紫蘇もぐんぐん成長している。
あと2週間くらいしたらこのプランターでの初物となる大葉を収穫できるのだろう。


こちらも去年の経験からすると、秋には花を咲かせて枯れてしまうはずだ。去年の僕の紫蘇はコガネムシの襲来に遭い、花を咲かせたものの種を取るまで成長せずに枯れ果ててしまった。

今年はコガネムシのような下衆にやられないように早々に対策を打つつもりでいる。

演る音楽と聴く音楽の違い

この間の2月から10数年ぶりとなるラッパの練習を始めた。そして、先月からは市民楽団の練習にも参加し始めた。


僕は学生の頃にバンド活動に夢中になり、濃淡はあるものの20代のうちはだいたいバンドで何かを演奏することに夢中になっていたので、もともと楽器の演奏にハマる気質なのだろう。

ちゃんと言うならば、楽器を演奏するというよりも「なんかのバンドに属して、それを目標とかにする」というのが好きだったのだと思う。


今現在、週に一度だけど、市民楽団に行ってラッパを吹いてウチに帰るという目的が出来てから、日々の生活においてもラッパのことを考える機会も増えた。

そこで形になって表れてきた変化がウチでかける音楽である。

僕の日常においては、基本的にジャズというか、ジャズっぽいユルい音楽をかけることが多かったのだけど、このところ市民楽団で取り組んでいる曲ばかりをかけるようになった。

譜面を読むのに弱いから、モノホンを聴いて構成とかニュアンスやら覚えようという意図によるものなのだけど、僕の参加する市民楽団でやる曲のモノホンにしても、どこかのシロウト楽団が演奏してYou Tubeにアップしていたものだったりするので、滅法カッコ悪い演奏が多い。

これらを聴くと、どんなふうに演奏するとこんなふうにカッコ悪く聴こえるから何を気を付けるべきかという勉強にはなる。しかし、その演奏は反面教師になるけど決してカッコいいものではない。

だからこれは楽団で演奏する曲の予習をしているだけであり、素晴らしい音楽に感動して僕の音楽性が上昇したり、純粋に聴く音楽でも無いようなものを教材として聴いているだけに過ぎない。


タイトルの通り、「演って楽しい曲」と「聴いて楽しい曲」は別物だと僕は思っている。

人に与えられた時間は等しく一日24時間しかないのだから、その間にどんな音楽をかけて、そいつがどんな意図の基にあろうとも、そして僕がどんな思いでそれを聴いても勝手なのだけど、手前が演奏したいモノホン音源を必死で聴いている日常というのも寂しいもののように僕は思う。

ならば

植物の成長

暖かな春の日が続いている。
雨が降ると多少気温が下がり肌寒いが、それでも春らしい寒さである。

暖かくなると、ベランダ菜園の作物たちの成長にも勢いがつく。パセリの成長はこの間もこのブログに記したが、この春に種を蒔いた紫蘇、九条葱、クレソンも芽を出した。

f:id:datetaira:20220416121310j:plain

紫蘇はプランターを埋め尽くすほどの芽を出した。せっかく出した芽を抜いてしまうのも勿体無い気がするが、完全にキャパオーバーの茂り方なので間引かなくてはならない。これはもう少し大きくなったものを間引いて、そいつはどこか他のところにでも植えてやりたいと思っている。

f:id:datetaira:20220416122253j:plain

九条葱とクレソンも細く小さな芽を出した。
これが普段スーパーに売られているものみたいに大きくなるなんて嘘みたいだ。

去年の秋に種を蒔いたイタリアンパセリは本当にもしゃもしゃに茂っていて、この二週間くらい菜っ葉を食べるかのようにパセリを食べている。パセリはビタミンやらカリウムやら豊富な緑黄色野菜…とのことなので健康にも良いだろうが、それ以上に買うと高いものがベランダで摘み取り放題!ということが嬉しい。

f:id:datetaira:20220416122740j:plain

イタリアンパセリプランターは2つあって、一つのプランターのパセリは放置して伸びたい放題にしている。毎日、数センチずつというすごいスピードで茎を伸ばしている放置パセリは遂に蕾をつけた。


ベランダで青い葉っぱが力強く成長してるのを見るのはとても幸せな時間だ。気候にもよるが、種を植えてから2ヶ月くらいしてからの植物の葉を触り、水を与え、その力強さを眺めるのが僕は好きだ。