節分

今日は節分だが、この数日思ったことを。

食品や食材を買うときに大手のスーパーに行く機会はほとんどない。近くにないからだ。だから、惣菜売場を見ることもあまりないのだが、節分が近づくと「どうにかして太巻を売り付けてやろう」という流通サイドの賎しい動きが目につく。

節分が終わった頃には、残った太巻の廃棄とかノルマを課せられて個人で買い上げさせられたとか、太巻を巡る問題がテレビなどで取り上げられる。

こんなことを「問題」ということが滑稽だ。
スーパーが儲けたいから、太巻を食べるのが当然かのようなキャンペーンをうつ。沢山売り付けて儲けたいから、沢山作る。こぞって馬鹿みたいに作るから沢山余る。余ったものは自分達で買い上げる。残ったものは棄てる。

ただそれだけだ。ただ、企業が儲けたい販売活動なだけだ。季節行事という名目を利用しているだけだ。

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※太巻は切って食べる方が好きだ。
関西の伝統を否定しないが、あたかもそれが日本スタンダードみたいに宣伝するのはなんなのか。
それにしても海老カツ太巻って…。別の売場ではすき焼き巻も豚カツ巻も見かけた。来年はチーズハットグ巻とか登場して欲しい。



…とここまでは去年も一昨年も思っていたことだが、今年は「儲け道具の太巻」が高級化していることに気が付いた。すでに何年も前からのことかも知れないが、僕は今年、あらためてそれを感じたのだ。

安い太巻を売り付けるより、単価の高いものを売る方が儲かるだろう。廃棄もバッシングされるから量より単価で儲けてやろう…実に当たり前の理屈だ。


豆を蒔くこともしない。煎り大豆を食べることもしない。鰯の骨で鬼を遠ざけることもしない。不幸の種となるものを排除して、幸福を呼び込もう、そんなことも考えずに、太巻を食べる。

節分の背景を体感しない馬鹿なお子さまたちが大きくなる頃には、2月3日はただの「寿司を食べる日」になっているだろうし、更にその先には「高級な寿司をたべよう!握りでもOK…」とか言う日になっているかも知れない。

金儲けをしたいだけの流通の扇動に乗ってはダメだ。儲けたいだけなら、無理やり「寿司を食べる日」を作ればいい。古来からの季節行事に便乗して、その行事の文化的背景を潰してしまうようなことはするな。「土用の丑」のように潔く独立した売り付けキャンペーンを指標とすべきだ。