令和のコロリ

コロリ、いやコロナによる騒動が拡大している。
ドラッグストアーにはそんなに出掛けないので、トイレットペーパーの買い占めはまだ目にしていないが、浅ましい買い占めに走る人が多いらしい。

学校の閉鎖、イベントの中止、そしてトイレットペーパー騒動と、この国はどうなっているんだろうということを多く感じる一週間だった。

WebやSNSの発達で、多くの人の意見が世の中に広まるようになった。誰が見るわけでもないが僕もこうしてブログなどに意見をあげているのだから、それ自体は否定できない。便利な世の中だ。

しかし、そこに出た聞きかじりの情報を鵜呑みにして短絡的に行動や意見を起こす人のか多いこと。政府を批判するのなら、その人たちは次回の選挙にはちゃんと行って意見としての一票を投じるのだろうか。

数々の情報から信頼できるものの取捨選択に頭を使い、よりよく過ごすにはどうすべきか考える人はどれだけいるのだろうか。

便利な機能だけを利己的に利用して、ものを考えることを放棄したり、考える力自体が退化してしまっていることに危機感を抱く人が減っているのではあるまいか。

考えることを放棄してはいけない。そう感じた閏年の午後。

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※僕の生まれる前年のオイルショックから、日本国民の烏合の衆っぷりは変わっていない。むしろ退化していることが、いとも簡単に露呈した。