糠床について②

今夜も帰宅して、糠床からスーヨーを引っ張り出して食べている。

昨夜は「糠床について」というよりも「スーヨーをどれだけ好きか」について書いたように思うので、今夜はもう少し「糠床」に焦点をあてる。


糠床を始めたのは………。厳密に数えてみたが、9年前からだった。この9年のうちに、いろいろと試行錯誤をしてきた。

糠と塩と野菜。
この三点での化学変化が人の食卓に彩りを与えることには本当に驚く。糠床に潜む乳酸菌と塩分による酸味と塩気。そして旨味。

これらにより、野菜の持つ甘味や苦味、そして食感も随分と引き出される。そうした「美味い要素」が引き出された野菜は、ストレートにそのまんまの野菜を食べるよりも、相当な美味しさを持つ。


そんな糠床を成長させようと試したのは「程好い香りが付くであろう追加食材」を糠床に足すことだった。

僕が過去に糠床に足したものを挙げてみよう。
山椒の実・葉っぱ、唐辛子、レモンや柚子の皮、出汁を取り終えた昆布……。思い出せるだけ記してみたが、意外に「足したものの種類」は少なかった。

それでも、糠漬け初心者の頃には「これを足すと劇的に糠床のポテンシャルがあがるのではないか?」と期待を持って、積極的に色々なものを糠床にぶち込んでいたような気がする。

今では当時のような積極性を持って色々と足したりしないのだけど、春の終わりには山椒の実を足したりするし、秋刀魚を食べたときのスダチの縛りカスはそのまんま糠床に入れたりする。

ものを足していることには変わりがないから、糠床に手をかけなくなったように思っていたけど、そんなことはなく、今ではあまり意識せずに当然のように色々なものを足していたことが、今、僕の糠床の変遷を振り返ってみて気がついた。

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この先、僕はいつまでこの糠床と一緒に暮らすのだろうか?それはおそらく僕が死ぬまでになるのだろうと今は思っている。

たかだか9年の糠漬経験で感じただけのことだから、この先の経験によってこれから新たな発見もあることだろう。でも、今現在感じるのは、具体性はないのだけど、イイ糠床を育てるのに大切なのは「糠床への愛情」を持つことだと思う。

毎日、世話をするのは面倒なので、冷蔵庫に入れていることが多いのだけど、そんな「鍵っ子糠床」であっても、僕はこの先も愛情を持って糠床と接していくのだろう、否、愛情を持って糠床に接していきたいと思っている。