端午の節句

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今日は端午の節句だ。

このブログを始めたのが今年の正月で、あっという間に節分と桃の節句はやって来た。そして気が付けばもう5月に入って5日も経っていた。

毎日色々なことは起きているが本当に時間が過ぎるのが、というより日が経つのが早い。暑い夏も、物思いにふける秋ももう終わって、湯豆腐が美味しい季節になってきた…なんて事を書いているのも、もうすぐ先のことなのかもしれない。


さて、端午の節句の話に戻す。

子供の頃はこの時期に自宅に兜が飾られていた。何度か被ってみたこともあるが、普通にTシャツと半ズボンとかのガキの服装に兜は似合うものではなかった。おじいちゃんと一緒に新聞紙で兜を折って、三角形のパーン!と音のするやつも一緒に作って遊んでいたことも、今思い出した。

そして、朝からおばあちゃんと母は柏餅を作っていた。我が家の柏餅はつぶ餡。白いものと蓬のものの二種があった。

柏餅はその後、数日に渡って食べていたと思う。それも休みの日に食べていたから、子供の日に柏餅を作っていたのではなく、前倒しして憲法記念日あたりにつくったものをその後、数日食べていたのでないかという気がする。


思い出にあるのは兜と柏餅。
鯉のぼりはなかった。田舎だったので周囲には大きな鯉のぼりを揚げているうちも幾つかあった。

ごく一時期だけど、鯉のぼりを揚げて欲しいと思ったことがある。小学2年生か3年生くらいか。心の中で望んでいて、親に少し話したかどうか…というくらいのことだったので実現することはなかった。

風呂に菖蒲を入れるという文化も我が家にはなかった。それを知ったのは、北野武の「たけしくんハイ」でそんな風習があるのを読んでからのことだ。


端午の節句を祝う、というようなことは、僕が育てられた家ではいつまで行われていたのだろう。柏餅は息が長く中学生の頃までは作られていたように思う。兜は小学生の途中くらいまでだっただろうか。


子供の日」というのは子供が主役になるべき日だと、子供の頃は思っていた。それは違う。「子供を想う親とか周囲の愛情を体現する日」であって、その行為は子供のためというよりも、親とか周囲の満足のためである。それで十分だ。

子供もいつか、いずれは親になったり、周囲にいる子供を可愛がる年齢になる。その時に自分が節句で祝ってもらった事を思い出し、その文化を理解すればいい。節句を祝ってもらったことがなければ、祝う立場として節句と接してみればいい。

伝統や文化は座学や文献で知ることも出来るのだけど、その時期その時期に体験して、実際に長い時間をかけて生活のなかで感じとることの方がずっと大切だと思う。