らっきょうについての考察

この数年、梅雨時期になるとらっきょうを漬けているのだが、そこで考えたことを記す。

まず、これから書くことは文献とかネットで調べたことではない。数年の体験で、勝手に僕が考えてみただけのことなので、頓珍漢なこともあろうかと思うが「そう感じた事実」を書く。


まず、僕の言うところの「らっきょう」とは「塩漬けらっきょう」だ。甘酢に漬け込んだものではない。芽と根を切ったらっきょうに塩をまぶして放っておくことで乳酸発酵しただけのものだ。


らっきょうに限らず、野菜を塩漬けしていると、そのうち乳酸発酵が始まる。塩加減と気温などの条件によるが、発酵が進んで傷んで腐敗するものもあるし、発酵の進行とともに酸味だけでなく旨味も発生するものもある。

酸味や旨味が増してくると、なにかの調味液に浸したのかと勘違いするほど、奥行きのある味が生まれる。いや、「なにかの調味液」とか「なにかの化学粉末」とは比べ物にならない自然由来の奥深く、たくましい旨味が生まれるのだ。

しかし、この旨味の発生とともに失われていくのが、本来の野菜の持つ野菜味とか野菜の歯応えである。それぞれの野菜が持つ繊維質によって「歯応えの失われ具合」は変わってくるのだけど、今日はらっきょうに限って話を進めていく。


塩をまぶして放置しておいたらっきょうは、3週間もすると酸味がでてくる。生のらっきょうをそのまま食べると相当な辛味があるが、乳酸発酵による酸味が出てくるとらっきょう本来の辛味も和らいでくる。食べ終えた後に口に残る「ネギ臭さ」がらっきょうの辛味成分だ。これがだんだんマイルドになってくるのだ。

乳酸発酵して酸味を帯び始めたばかりのらっきょうは、少し酸っぱいネギのような感じである。歯応えもほぼ生の時と変わらないから、ポリポリというよりバリバリとした生野菜の食感と大差ない。

このあたりの乳酸発酵の進度には塩加減が大きく関わっている。塩が薄いと乳酸発酵とともに野菜は傷んで行く。塩が濃ければ腐敗は進まない。その分、乳酸発酵もゆっくりと進んでいくし、長期保存が効く分、延々と乳酸発酵による旨味は増えていく。

こう書くと「とにかく塩分を多目にしてらっきょうを漬けた方が望ましいいいのでは…」と思えるだろう。しかし、それは間違えだ。


昨年漬けたらっきょうを先日食べた。
昨年のものは塩が多かったので、去年の夏から秋にかけても「とにかくしょっぱい塩漬けのらっきょう」を食べているばかりで、酸味と旨味をなかなか楽しめなかった。

塩が濃かったので、その後も痛むことなく乳酸発酵が進み、想像もつかなかったレベルにまで旨味は増した。そして、しょっぱかった塩気も落ち着いてきて普通に食べられる塩辛さになってきた。しかし、同時にらっきょうの持つ歯応えとからっきょうの香りは失われる。

「一年経って食べる去年のらっきょう」はとにかく味が濃く、一粒食べると口の中がらっきょう味に支配され、それ以上食べようとは思わなくなるほど、悪い意味でクドいのだ。

一年経ったらっきょうには、やはり一年分の旨味の蓄積がある。これは老獪な武士が、過去の経験から様々な戦術や戦略を身に付けているようなものだ。しかし、その老獪な武士は既に若さを持ち合わせていない。力強い肉体は失われているので、総合的な侍としての能力は一級のものではない。むしろ使い物にはならないレベルにある。


旨味は濃いけど、歯応えや野菜本来の持つ野趣溢れる味はなくなったらっきょう。旨味と酸味と歯応えと野菜の味。これら全てが同時に最大になるように漬け込むのが「いい塩梅」である。ピタリと決まる塩加減。漬物の道はまだまだ険しい。


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とにかく味が濃い19年らっきょう。
まだこんなに残っている。
勿体ないので水に浸して塩抜き(味抜き?)なんかして、消費してみるか…とも思っている。