夏になると考えること

先日、8/6は旅先である福山で朝を迎えた。
朝から分不相応に豪華なホテルの部屋でTVをつけ、平和行事の様子を見た。

そして今日は長崎に原子爆弾が落ちた日。

この2日、そして終戦となった8/15にはテレビでも戦争の特集を放送するし、戦争について考える機会となるイベントも行われる。その間には「故人に敬意を払い先人を偲ぶ」お盆もあるから、日本人にとって戦争を振り返るにはとても都合のよい時期なのだろう。



昔から思っているのだが、原爆被爆地の生き証人が原爆投下の当事者であるアメリカを憎む気持ちは分かる。「原爆を落とされたせいで人生が大変になった」という証言は否定できないし、そのとおりだから良しとしよう。そりゃ大変だっただろう。

しかし、影響力の強いテレビなどがその生き証人たちの発言をそのまんま、何なら「アメリカは原爆投下して広島の人を不幸にしました」とだけ言うようなバカみたいな論調で番組を放送するのは腹立たしい程だ。



戦争をしていたのである。
ルールなどなく敵の国家を潰して侵略するための愚かな行為に、国政は舵を切っていたのだ。政府公認の殺人推奨である。喧嘩を吹っ掛けておいて負けたら「四の五の言う」事が許されるわけはない。

勝算が無くなったことを国民に隠し、敗戦と言う形で国民の無事を守るよりも、浅はかな政治権力的な見栄を選ぶほど国政は駄目になっていたのだ。

日本が原爆を持っていたなら、躊躇せずに敵国に投下していたはずだ。モラルも糞もあったものではない。そもそも開戦の段階から卑怯な手を使って、情報操作で国民を操るような汚い国だ、日本は。



そんな過去の日本のミスを棚に上げて、原爆を投下したアメリカを憎む…などというのは愚の骨頂だ。どうにも仕方のない日本に戦争を止めさせるため、目を覚めさせるための往復ビンタのようなものだ。往路のビンタは広島に、復路のビンタは長崎に。それでも目を覚ますまで一週間近くの時間が掛かるほど、当時の日本は腐っていたのだ。


当事の体験や記憶を持つ者ががほとんどいなくなった今、勿論その悲惨さは語り継いでいかねばならないと思う。しかし単に悲惨な出来事をなぞっていてもなんの意味もなく、2度と同様の過ちを犯さない為に、体験や経験を伝承していくのだ。

原爆よりも…それを落としたアメリカよりも…。本当に憎まなくてはならないのは戦争に走った日本国家のミスである。


そして、そのミスを防ぐことの出来なかった国民自身を一番に憎まなくてははならない。同調圧力に負けて戦争協力しておいて、負けてから被害者ヅラするような奴らが自ら戦争を招いたのだ。

被害の大きさとそのインパクトから、原爆と言うものは「いい感じの戦争教材」として扱われていることが多いと思えてならない。しかし、戦争という愚かな行為によって奪われた命は何も広島と長崎だけではない。

国内で、そして国外で多くの人が命を失った。日本人だけでなく様々な国の人々が、だ。そして日本人も多くの人の命を奪ってきた。被害も受けただろうが加害も行った。人の命を蔑ろにする戦争を起こすこと、そして起こしかねない社会を作ることを許してはならない。



言葉だけの「戦争について考えましょう」というつまらないテレビ番組を見ながら、今の日本人も75年のうちになんの進歩もなく、むしろ一層馬鹿になっているのだと思った。こんな国民が暮らす国では簡単に戦争が起きるのだろう…自分だけでも反戦の意思を示さねばならない…と考えていた。

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8/6の朝、ホテルの部屋から見える福山城
75年前のこの日の朝、ここから数十キロ離れた街に原子爆弾が落ちた。しっかりと効いた空調と広いベッドと広い部屋、恵まれた空間で過ごしていても黙祷と過ちを繰り返さないことは忘れてはならないと強く思った朝。