夏の間にグレるということ

開放的な夏休みを過ごして、地方都市のオニイちゃんやオネエちゃんがグレてしまう…なんてことを、僕が青少年の頃にはよく聞いた。

僕自身は子供の頃に特にグレてしまったというような記憶もないし、身の回りにそんなにグレた奴もいなかったと思う。しかし、一生懸命に没頭することもなく、フラストレーションを抱えた未熟なガキが夏休みの間にグレてしまうという気持ちも分かるような気はする。だからと言って、それが容認されて然るべきだとも思わないけれど…。

…というような「夏休みにグレてしまう体験」を僕は味わってしまった。
僕自身のことではないし、息子や娘のことではない。
我が子のように可愛がってきた糠漬けのことである。


この夏、僕は農協で野菜を買う喜びにハマってしまい、来る日も来る日も農協の新鮮野菜を楽しんでいた。その朝に採った野菜なんて、どんな料理にしても美味いのだ。



そこで疎かにしてしまったのが糠床である。


思い出したように手を入れて糠床をかき混ぜたりはしていたものの、新たな野菜を加える頻度は見る間に減っていき「古漬けを超えて既に食べたくないナニか」が牢名主のように糠床を占拠していたという有様だ。


これは「何不自由なく、ものは買い与えていただろう!えっ、太郎(仮名)、お父さんの何が不満なんだ⁉ええっ!」と、己の愛情不足を棚に上げて、自己都合の愛情を押し売りするダメなお父さんと一緒の行為であった…。


そんなことに気が付いた時には既に時は遅く、糠床はすっかりとグレてしまっていて、どんな新鮮な野菜を加えたところでそれはそれは美味しくない糠漬けが出来上がるくらいにダメなやつになってしまっていた。


今は、糠床と親子共々、リハビリの期間である。
そうとうにヒネくれてしまった糠床とどう向き合うか?
父親としての苦労は続く。
たかが糠床のことなのだけれど…。


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写真は「更生を始めた糠床の成果物」の近影。
古いものは全て取り除き新しく胡瓜や人参を加えた。
少しずつではあるが、立ち直りつつあるのだ。