今日は文化の日だ。
大学を卒業してからもう20年以上になるのだけど、大学生の時にはこの時期に学祭が開かれていた。学生時代は軽音楽部にいたので、連日ライブを行い、別の週には別の大学の学祭にお邪魔して演奏していたりもしていた。
勉強そっちのけで楽器ばかりイジっていた当時は「学祭というのがなんかの免罪符」のように感じていて、それはそれは普段以上にのびのびと、そしてイキイキと過ごしていた。
そこでどれだけイキイキ過ごしたところで何一つ解決される訳でもない。学祭という行事を心の中の隠蓑にして、自分がやらなくてはならないことを誤魔化していただけなのだけど、それでも楽しい期間だった。
長いこと、学祭とは無縁な生活を送っているのに今だにこの時期になるとなんだか学祭が懐かしくなるものだ。
さて、おこがましくも、普段から漠然と「文化的な暮らし」を送っているように感じているのだが、あらためて考えると「文化的な暮らし」って何なんだろう?と思う。
本を読むこと?
音楽を聴くこと?
ものを考えること?
こうしたことを行っていると、なんだか文化的な生活を送っているような気もするのだけど、それらは今の僕にとっては遊びと言えば遊びだ。
だからと言って、これらを遊びではなく、仕事として取り組んでいるのならば、それは「文化的な暮らし」と言うよりも「暮らしのために文化的なことを仕事にしているだけ」とも言う方がふさわしいのではないかとも思う。
こうして屁理屈を書き並べること?
それも別に文化的なことだとも思わないし、考えれば考えれるほど、文化的な暮らしというのが何ものなのか分からなくなってくるものだ…。
文化の日の由来をちゃんと知ってはいないのだけど、こうして文化とは何なのか?を考えるために今日という祝日があるのかも知れない。
その後、調べてみたら11/3という日は「明治天皇の誕生日」であり、「憲法が公布された日」とのこと。
由来を知るとな〜んだという肩透かし感が満載だ…。
しかし、文化という言葉自体を調べてみるとラテン語での「耕す」「洗練させる」との意味のもとに成り立つものだそうだ。
「日々の生活を耕して洗練させる。」
そういう意味だけに捉えるならばいい記念日だと思うし、この記念日に限らず、毎日取り組んでいきたい…と考えた46歳の文化の日である。