年始に思ったこと 【化学の粉】

長かった年末年始休暇も、今日が最終日だ。
特に遠くに出掛けたりもせず、特に大きな遊びもせず、手の届きやすいところで毎日それなりに楽しく過ごした。

お陰ですっかりのんびりとすることを好きになってしまい、明日からの仕事が憂鬱である。至って大衆的な過ごし方と感想だ。


さて、ゆっくりと年末年始を過ごしたからこそ、改めて感じた新鮮なこともあった。それらを記そう。



きちんとした出汁で作った煮染めはやはり美味い!
強く感じたことだ。

なんやかんや言って、普段、正調の煮染めを作ることはほとんどない。筑前煮は年に2回か3回くらい作ったりする。夏には茄子を炊いたり、冬にはけんちょうをよく作る。おでんも年に一度くらいは気合を入れて作る。

こうした時に一番よく使うのが、粉末の昆布出汁だ。
昆布自体を粉末に砕いた昆布茶ではない。
出汁の成分が顆粒になった便利なやつだ。

僕のよく買う顆粒昆布出汁には、堂々と「化学調味料不使用」と書かれている。アミノ酸とかグルタミン酸という化学成分をダイレクトには加えていませんよ!という主張なのだろうけど、この便利な粉はについては「バカか!お前は!」と接するようにしている。

昆布の旨味が抽出されて、顆粒に加工されて、パッケージされている段階で十分すぎるくらいに「化学」なのだ!「目糞鼻糞…」なんていうレベルではない。「馬糞牛糞…」というくらいに愚かな比較だ。


そして次によく使うのが、濃縮の麺つゆだ。
これは便利だ!
なんにしてもこれを使うとたちどころに工業製品の画一的な味になる。出汁をとったり、酒や味醂を足して煮詰めたりすることなく、美味しい麺つゆが手に入るように数々の化学成分が加えられている。

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…と言うことで、僕の料理にはわりとふんだんに化学調味料が使用されている。これは悲しいことで、改めていきたいのだが、やはり「化学の粉」は便利だ。

そんなことを常々思っているので、時間のある年末には「ちゃんとした出汁」をとってみた。厚切りの鰹節とたっぷりの昆布を使った味醂色の液体。完成までに一晩を費やしたが、これは出汁がじっくりと出るのを待っていただけであり、手を加えたのは、のべ時間で30分にも満たない。

よく考えると、こんなもの料理でも手間でもない気がしていた。「ちゃんとした出汁」はとったけど、「ちゃんと出汁をとる作業をした」とは言い難いくらいに簡単なことだったからだ。


料理自慢が「ちゃんと出汁からとりましたから…」みたいな事を言っているのを聞くような気がするが、そんなの料理するには当たり前のことだ。逆に言うと「わざわざ自慢げに言ってるけど、そうじゃないときは「粉」を使ってるのか?」とも思う。


鰹節と昆布の出汁に酒と醤油を足す。
正月の煮染めも格別に美味しかった。
そして年越し蕎麦もとても美味しかった。蕎麦ツユが。

ちょっとの手間でこの結果!
この先、ずっと続けたいとも思うのだけど、化学の便利さにスポイルされてしまっている僕にはすぐには完全切り替え出来そうにない。まず、それに対応出来る生活リズムを作り直す必要もある。

しかし、挑まねば達成出来るはずもない。
長い課題になりそうだが、今年は少しずつ化学の粉を排除していきたいと考えている。