蕎麦を啜る

この町に引っ越してきたのは去年の4月のことだが、その前にも、更にその前にも、今住んでいるところの近くに住んでいた。

この町に住むのは通算で13年、まもなく14年目を迎える。面白いものなどほとんどない町だけど不便に感じることもほとんどない。敢えて良く言うのならば、文化的な刺激も誘惑も乏しいから無駄遣いする危険性も低い安全な町だ。

そして、この町には驚くほど魅力的な飲食店が少ない。それなりに企業努力もしていて、割と好きな店もあるが、味とサービスと佇まいなど、いろんなことを総合的に見ると基本的に高額である。クオリティは低いくせに。

都内にある魅力的な店が数店移転してくれば、あっと今に古参店舗の多くが壊滅的な打撃を食らって潰れることだろう。そうなると本当に面白いのに!


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さて、今日は昼食に蕎麦を食べに出掛けた。
初めて訪れる店だ。

今、僕が住んでいる部屋のすぐ蕎麦…もとい、すぐ側に蕎麦屋があった。昔から好きで…と言ってもクオリティの割には高額なので、度々ではないが何度も食べに出掛けたものだ。

長男が本当に小さな頃、その店で海老の天麩羅を食べて、痙攣するほど美味しがっていた事を思い出す。当人にはそんなに記憶は無いだろうけど。

そして長女とは、彼女が風邪で学校を休んでいた日に、昼頃には熱も下って元気になったので、蕎麦屋に昼食を攝りに出掛けて、そのままドライブに行ったこともあった。

次女はこの店の梅干と海苔の天麩羅が好きだった。

…って、蕎麦の思い出は無いのか!
という感じだけど、蕎麦も勿論美味しい。職人の気分なのか、当番制だったのか、日によってクオリティのばらつきがある店だった。やけにボロボロの蕎麦が出てくる日もあった。ツユはキリッとしたものではなくて甘い汁だった。そして、全てのものが割と高かった。


ファンも多かったのだけど、数年前に閉店した。

真相は知らないが、経営不振とかではなくて内部で揉め事が勃発して職人たちが店を捨てた、それにより店は立ち行かなくなった…と人から聞いたこともある。嘘か本当か知らないけど…。


…と、その店で働いていた人がそこの味とそのままに店を出していることを知った。静岡に引っ越して来てそのことをすぐに知り、いつか行こうと思っていたのだから、まさに10ヶ月越しの訪問ということになる。


町外れの不便な店に自転車を走らせること15分。
そこには昔、食べたことのあるあの味がそのままあった。そして、昔通りの強気の高額設定だった。

風情もクソもない町外れの蕎麦屋
店員のサービスも普通のパートのババアのものだ。
ここで、よくそんな金を取るな⁉この野郎。

…というのが率直な感想だけど、なんの飲食店にしてもやたらに高い値段をつけるこの町においては普通のことなのかも知れない。

味は恋しいけど、「外の店」というのはサービスと価格のバランスがあってのものだ。もう行くことはない。