忙しくしていても歳を取る

さて、明日は僕の誕生日である。

特に誰かに祝ってもらう訳でもないが、自らが歳を取ることについて考えるいい機会になるので、やはり誕生日というものはそれなりの意義を持つものだと感じる。


46歳最後の夜は、意図したわけではないが普段どおりに…いや、このところ忙しさにかまけて怠惰な生活を送りがちな身としては、割とちゃんとした普段どおりの夜を過ごしている。

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帰宅して、数日前の宴席に用意した「野芹の塩茹で」と「小柱のぬた」で安いウイスキーをやっている。

自分のために作ったものではないが、いずれも僕の好物である。単なる冷蔵庫の余り物とは言え、自分の好物がさっと出てくるうちに住んでいることに喜びを感じる。


そして、台所では「出汁殻の昆布」を佃煮にしている。

こいつも特に「よろ昆布」ようなものではないのだけど、日々それなりに地に足をつけて生活してきたことの証の一つになるような気がして嬉しく思うものだ。

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実家を離れたのが、18歳になってすぐの春だった。
それからもう28年が経とうとしている。

放蕩の限りを尽くしてきて、毎日毎日を好きなように生きてきた。今も好きなように生活しているが、少しはちゃんとした生活を送れるようになったのか…。

46年間の生活を振り返るとともに、自分に残された時間を「もっともっと満足出来るように」日々過ごしているのか?

欲を出せばきりはないが、欲を出さねば人は進歩しない。そんなことを思いながら、ウイスキーをぐいと飲む夜。