英才教育

僕には息子も娘もいるが、父親としては大した役割は担っていない。「身近な口うるさくて遊び好きなおっさん」くらいに思われているのだろう。


そんな「おっさん」っぷりであるが、やはり近所のおっさんとは違い、父親であるから生活スタイルについて話をすることはとても多い。

そんな僕の「おっさんとしての生活スタイル指導」について、仲の良い会社の後輩が「英才教育だ」と褒めてくれたことを記しておく。


現在、高1と小6の二人の娘についてのことが中心である(勿論、ここ最近の話)。


■山葵なしで刺身を食べるのは勿体ないと言うこと
■炊きたての銀シャリは、まず鍋から香りを嗅ぐこと
■塩は後からかけて食材にエッジを利かすこと
■和食全般には「大根おろし」が凄い力を持つこと
■献立に合う食器を選んで使うこと
■漬物の熟成による変化が分かること
■「紫蘇」という漢字を読めたこと(長女)
■箸と食器をちゃんと扱うこと
■父親の漬物を喜んで食べること
■無闇矢鱈に甘いジュースを欲しがらないところ


渋谷系の歌詞をさらりと鼻歌で歌うこと(次女)
■BGMに岡村靖幸を選曲すること(長女)
ハッチポッチステーションを歌うこと
■長女にキャリーの本を与えたこと(父親)


■丁寧な字を書くこと
■ボーダーのシャツが似合うところ(長女)
■リンドールのチョコを有難がるところ


仲の良い会社の後輩がこの春、会社を去る。
折に触れて一緒に食事をして、音楽を聴いて、ファッションなど趣味の話をしてきた仲の良い女の後輩だ。

彼女との送別会として、先週、彼女と気が合うに違いないと思った二人の娘も招いて天麩羅を振る舞ったのである。僕としては大勢の娘たちに多量のメシを支度したような感じだった。

そんな席における僕の娘たちの様子を見て、これまた娘のように接している後輩女史が褒めてくれた「英才教育振り」が上記のものである。



それまでのメモ用紙による文通のようなものや、僕の「父馬鹿話」や「後輩の話」をそれぞれに披露することで彼女たちは繋がりがあった。

実際に食事の時間をともにするのは初めての彼女たち。おそらく宴席の主役である後輩女史は相当に気を遣ってくれたのだろうけど、僕がひたすら天麩羅職人として台所に立っている間にも、彼女たちの親睦は深まったようだ。…と、小心者のおっさんは信じたい。


我が子と僕に対して「英才教育だ」と褒められたことは嬉しいことだが、それを感じ取ってくれる後輩女史よ、貴方の感受性とか天真爛漫なところも、きっとご両親が「ご両親なりの英才教育」を施してくれた賜物なのですよ。

後輩女史の新たな地での幸せな前途を祈る。