引越から一年

昨年の4/11(土)に僕は今住むところに引越して来た。
この部屋に住んでから、今日でちょうど一年になる。


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4月11日の土曜日に荷物を送り出して、急いでこの部屋にやってきた。そして、その夜は荷物の届かないこの部屋に寝袋を持ち込んで眠った。


出来合いの鯖弁当と安くなっていた天麩羅の盛合せを買って、コンビニで買ったプラスチックコップでウイスキーを飲んだ引越初日の晩餐のことはよく覚えている。

なんと言っても天麩羅が不味かった。
この一年で何度か安売りされているその天麩羅を見かけるが、あれ以来食べていない。食べたくはないが、とても懐かしく思い出す。f:id:datetaira:20210411171802j:plain

物事にはつまらないことでも大切なことはあるから、不味かった天麩羅も「イイ記憶」になりそうな気がする。



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そして引越翌日の夕方の写真がコレ。
1日で随分と部屋らしくした自分に驚く。


まあ、引越をするといつものことなのだけど、僕はとても良く働くのだ。それも働き蟻のように。

部屋が未完成であることが気持ち悪くて仕方ないのだ。早く仕上げたいと思うとワクワクしてきて、土日になると早くに目が覚める。体はクタクタなのに…だ。

部屋の装いにまだ不備がある間は、パジャマで表に出掛けてしまったかのようで、落ち着かず早く次の段取りを考える。そして馬車馬とか働き蟻のような生活が一月くらいは続いたりする。

しかし、その間は落ち着かないのだけれどとても充実している。何かを達成しようと頑張ることでの充実感がそう思わせるのだ。


部屋の完成ととともに、生活が本来は落ち着きを取り戻し「いい部屋だなあ」としみじみ思うことで幸せさを反芻する。

そして、その後は部屋の模様替えなどは行われず、安定的なインテリア環境でヒビの生活が続く。


ちょうど1年経ったので引越について思い出してみたが、「人は自分でやりたいと思ったことしか出来ないし、やりたいと思っていればそれをやる」ということがあらためて感じられた。

無理矢理に部屋の模様替えをしたりなどしない。何かをしっかりとした目標と励みを持つと、休みの日にも早くに目が覚めるくらいワクワクするに違いない。

ワクワクを求め続けるおっさんでありたい。