麦について思うこと

麦シャリを食べることについては過去にこのブログにも記した。そして、今も僕は麦シャリを食べている。


銀シャリを炊くよりもは麦シャリを炊くことの方が少しだけではあるが手間はかかる。そして、僕の過ごす環境では、これもまた少しだけなのだけど、麦を手に入れることに手間がかかる。

少しばかり面倒ではあるが、僕が麦を食べているのは「気持ちの安定を図る」為であろう。


麦を食べたことない人には分からないことだろうけど、麦を食べていると、そりゃもう驚くほど「お通じ」がよくなる。本当に驚くほどだ。これは僕の感じ方に過ぎないのだけど、体内の悪いものが麦の力によって排出されるように感じるのだ。


食べることが大好きで、酒を飲むことが大好きな僕は平素から多くの体に悪いものを摂取している。

一番良く飲む酒もウイスキーであるから、麦由来の体に良くないものをたっぷりと摂取しては、麦の力によって排泄して、体内のバランスを図る…という「麦に依存した循環」が僕の内面では繰り広げられている。

麦シャリの他にも冷や麦やらラーメンなども食べるけど、これらも麦が原材料であるから、僕の体は「麦により蝕まれ、そして麦によって整えられている」とも言えるのかも知れない。

金が循環することによる経済活動や景気の変動と似たような出来事、まさに資本主義世界での流れと同じような事が僕の中で起きているのだ。そこでの通貨は「麦」なのだけど…。


…と言ったところで麦が体に及ぼす影響の医学的根拠は知らない。通販番組でよくある「個人の感想であり、効果効能を示すものでありません」だ、まさに。


けれども、体にいいと思うことをある程度の手間をかけて生活に取り込む。このことが僕自身の精神の安定に繋がる。

面倒くさがらずに麦シャリを炊くことに取り組んでいる。これは本当に自己満足に過ぎないのかも知れないけれど、僕にとってこの行為は大きなことだと思っている。



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※僕の住む地域で実った麦を見ることもない。麦畑は見かけない。夏前に実った麦をみて、麦秋の訪れを感じること…麦に生活の多くを頼っている僕にとっては麦秋を感じることも大切なのことなのだろう。この初夏は麦畑を探してみたいと思う。