今日もいい天気で気持ちの良い風が吹いていた。
沖縄や九州はもう梅雨に入ったそうだ。
今年は春らしくなるのも早かったから、梅雨入りも早くなるのだろう。5月の気持ち良い期間が長く続かないのは嫌だけど、そんな年もあるのは仕方のないことだ。だからこそ、よく晴れた日には陽射しを受けて爽やかな風を感じなくては勿体無いと思う。
さて、先日大葉の成長について書いたのだけど、毎日順調に大葉は育っている。次々に芽を出し葉っぱを広げていくスピードに驚くばかりだ。
これだけ成長が早いのはやはり生命力が強いからだ…と思ったので、手元の種もすぐに植えてしまうことにした。少しでも早くに植えたらその分早くに収穫することも出来るだろうから。
うちを出て歩き回り、紫蘇が育ちそうな空地を見つけたらそこに種を蒔いておいた。あとは自然と大葉の生命力に任せて祈るばかりだ。
それにしても近所にそれらしい空地が意外に無いことに気がついた。
普段歩いていると雑草をよく見かけていた。そして、舗装のされていない空地もそこらにあるように思っていたのだけど、実際にそんな土地は殆どなかった。
目にしていた雑草も砂利の敷かれた駐車場の傍らに生えていたり、アスファルトの隙間のようなところに無理矢理生息していたりで、まさに雑草根性丸出しという状態だった。
いくら紫蘇が生命力に溢れていると言ったって、アスファルトの隙間からニョキニョキ生えてくることはないだろう。それなりに栄養分もありそうな土のある場所を探して歩いたけど、そんな空地などなかなか見つからないものだった。
結果、うちの直ぐ側の空地にも種を蒔いたけど、少し離れた道路公園(という呼び方が正しいかどうかは不明)に広大な空地(これもそう呼んでよいかどうか不明)を発見して、そこに青紫蘇の種を蒔き、それだけでは足りないと思って、赤紫蘇の種も買い足して大量に蒔いておいた。
僕の撒いた紫蘇の種のうち、どれほどが立派に育つのだろうか?道路公園を管理する人に見つかり、簡単に駆除されてしまうのだろうか?
願うことなら少しでも多くの種がしっかりと育ち、花を咲かせて種を結び、数代に渡る紫蘇の群生地帯を形成してくれると嬉しく思う。
子供の頃に国語の教科書で読んだ物語。
松谷みよ子という作家は好きなので、大人になってからも本を買い求めて、子どもたちに読み聞かせをしていたものだ。
この物語では風船につけられたひまわりの種が山の小ぎつねのところに届き、ひまわりの群生地を作り出す話なのだけど、そんな感じで紫蘇が増えていくと…。
そう思いながら、種をばら蒔いたのである。