ボタンダウンシャツという服飾について

来る日も来る日も「食べるもの」と「紫蘇の成長」のことばかり書いているのだけど、それはそれで仕方ない……。だって、日々の生活(仕事を除く)で気になったり、このブログに書いても差し障りないであろうとが、そんなネタばかりなのだから…。


って、冒頭に言い訳をしっかりとしておいて、本日は別のことを書く。


何回かはこのブログにも書いたことがあるのだけど、僕はそれなりにファッションは好きだ。これが世間一般に「僕がお洒落でカッコいいおっさん」と見られているのかどうかは無視する。

昔からそれなりにお洒落をすることは好きだ。
くどいようだけど、それは「僕が好きだという格好」をすることについてのこだわりであり、世間一般に幅広く好感を持たれるかどうかは、それほどまでに気にしない前提のお洒落である。


これまで、あまり口にしたことはないのだけど「お洒落」とか「カッコいい」の究極系は自らの肉体がどれだけカッコいいのか?に行き着くものだと思っている。

これはこだわり始めたらキリのない話であるが、やはり海水浴場の日に焼けたライフセーバーたちを見ると「身体が出来ていたらパンツ一枚でも最高にカッコいい」のだと思う。


…なのに、そんな肉体を手に入れるのは難しい。
怠惰でしんどいことが嫌いな僕にはほぼ一生無理なことだと深層で思っているから「ガワだけでも……」なんていう浅ましい気持ちで服飾に興味が向くのだろう。そんなことは本格的に太り始めた20代半ばくらいから気が付いていた。


そんな怠惰な僕が好きな服の一つが「ボタンダウンシャツ」である。

夏の装いとしてポロシャツやTシャツを着ることも時にはあるが、圧倒的に好きなのはコットンのボタンダウンシャツだ。

素肌にざっと羽織った時のシャリッとしていながらも綿の柔らかさを感じるシャツ。潔く汗を吸い取りながらも飽和状態となった汗は吸い込まず、身体にピタピタと張り付くコットンのシャツ。暑いのに長袖で襟のあるボタンダウンシャツは、異様に汗を掻く僕にとって心地の良い夏の装いである。

機能性のことを書いたが、機能面だけなくそのデザインが僕を惹くのであろう。ただ、これはボタンダウンの何が僕の心を捉えるのか分からない。「好きに理由はない」のだ。

襟のあるシャツを着ているとなんとなくちゃんとしているように見えるのかもしれないけど、ボタンダウンを着ている夏の僕の装いは、ほぼ100%短パンを穿いているだろうし、足元はビーチサンダルであることが多い。これは説明のつかない「僕の好み」なのだろうと思う。

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別に夏だけでなく春も冬も着ていることの多いボタンダウンだが、洗濯したコシのあるシャツを素肌に着る、そしてそのシャツが汗で湿気を帯びてヨレヨレとしていく……。この過程は夏の楽しさの一つのようにすら思う。


若い頃はイタリア製の立体裁断のブランドシャツメーカーのボタンダウンが最高だと思っていたこともある。しかし、今はアメリカンなボタンダウンが好きだ。

………これは、違うかな?
イタリアシャツメーカーは素晴らしいけど、やはり高価なので、僕の懐が「アメリカン>イタリアン」と判断しているのかも知れない。

人にはそれぞれの事情があるのだ。
体型だったり懐事情だったり…。

あくまで、そのへんを考慮しての無意識の判断なのかも知れないけど、僕はこの先もアメリカンなボタンダウンシャツを着ていくことと思っている。

奇跡的にムキムキになったりしたら「夏の間はタンクトップしか着ない露出野郎」になるのかも知れないけど、その予定は残念ながら無い。