鰻の肝の下拵え

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今夜も鰻の肝を食べている。
先日行った「鰻の肝の調理」について、本日は記しておく。

初めて調理した鰻の肝は存外に美味しい。

僕が外食をする機会なんて今は本当に少ない。美味しい鰻は表で食べないと出会えないし、スーパーの出来合い蒲焼と外で食べる鰻に結構な差があることは知っている。そして、パリッと焼いた西方の蒲焼も美味いし、フカフカと蒸した江戸前の鰻の美味さも知っている。

滅多に行かないが、表の店で鰻にを食べるときに出てくる肝吸いのシコシコとした鰻の肝も美味いし、肝焼きも美味いと思う。

しかし、鰻の肝における店ごとの仕込みの差は分からないし、そもそも鰻を食べればどこで食べても満足しているのだから、どこで食べたキモだって充分に美味しいのだ。

そんな鰻オンチの僕にも、一応の味についての分別はあるのだから、鰻の肝という食材自体が僕は好きなのであろう。


さて、下拵えとか調理の話をすると、いろいろと勉強になることが多かった。

まず、鰻の肝にくっついている緑色の「苦玉」。こいつを取り除くべきか、そのまま調理するべきか、ここに大きな分岐点があった。

結果、僕は2パック約60尾分の鰻の肝を処理したのだが、味の違いを知りたいと思って10尾分くらいは苦玉を取り除かずに調理した。

ウェブで知る知識が全てではなく、まずは自分自身が体験してどう思うかが重要であると思っているが、よりよい調理方法で少しでも美味しく食べたいという「食い意地」はしっかりと持っている。

そして、折角買ってきた食材が不味く仕上がると大事だ!という「セコい気持ち」も充分に持っている僕だ。

ある記事によると、水洗いもそこそこに、当たり前のように苦玉なんかも取り除かずにざざっと調理するのが「鰻の肝の野趣溢れる味」をそのままに楽しむコツだ…というのを読んだ。

その一方で「とにかく苦玉は丁寧に取り除かないと大変なことになる」という下拵え慎重派の意見もウェブで見た。

ここで悩むのがどちらの意見を尊重するのか?と言う事なのだけど、その記事を書いた人のことは僕は何も知らない。僕との好みの方向性があっているのかどうかも分からないのだ。どちらを選ぶのかなんて博打のようなものなのだけど、僕はウェブ上では多数派であろう「苦玉は処理する」ことを選んだ。

大半を処理した後で、幾分かの苦玉を残したのは、2つの味の差を知りたかったからである。


処理を施した鰻の肝はフライパンでザッと炒りつけて、酒と出汁と醤油で煮しめる。佃煮のように煮しめてしまうと鰻の肝の持つシコシコとした歯応えがなくなるだろうとの配慮から、味付けは濃い目、火通しはそこそこ…と言った調理方法である。

諸説ありの調理方法の中に、鰻の胃袋なども切り開き、残留している内容物もきれいに流すとか血合いのようなものもとにかくきれいに取り除く方が雑味がなくなって美味しい…と言うものも見た。

僕はそこそこに雑味の残るような調理を行ったが、これはこれで美味しいと思う。しかし、どちらが美味いのか甲乙をつけるほどには経験が足りない。

何を料理するにしても、美味いとか不味いとか語るには何よりも経験が必要だと改めて感じた。