【旅の思い出】思い出す前に…。

「今年の夏の旅」も本当にイイ旅だった。

旅の間に考えたことや感じたこと。
それらは「美しかった景色」とか「美味しかった食物「楽しかった友との語らい」「暇な車中で考えさせられたこと」……言い始めたらきりが無いくらいに思い出されるのだけど、そうした思い出を綴る前に、今回の旅でとても印象に残ったことを書いておく。


旅の間に思い出したのが「そぞろ神とか道祖神」のこと。
旅の終盤になってから、ふと思い出した単語なのだけど、この2つのワードは中学生の頃に国語の教科書で読んだ「おくのほそ道」がベースになってのことだ。


青春18切符での旅の楽しみ方は、それはそれは多様にあるのだろうけれど、一番の醍醐味は「ノロノロとしか移動できないけれど、とても良い安くに列車を利用出来る」という変な制約にあるのだろうと思う。

躍起になって「今日は何を楽しもう」と思っていると、頑張って鈍行列車の座席に座り続けよう!とか、赴いた旅先では少しでもその土地の風土を感じよう!などと活動的になれるものだった。

18切符での貧乏旅に夢中になっている間はそんなことを考えないのだけど、いよいよウチに帰ろうと思った旅の最終日となる朝、僕はゆっくりと落ち着いて宿の朝食を食べていた。そんな時に「何故、僕は無理矢理に移動してガツガツ動いているのだろう?」と思った。

何故なのか?なんて、僕自身にも分からない。
なんだか憑物が落ちたかのように、昨日までの忙しい旅を追求する気持ちはどこへ行ってしまっていたのだ。


そこで思い浮かんだのが「そぞろ神とか道祖神」のことだ。

自分自身の考えで説明のつかないことは神様のせいにしてしまおう…という横着な理屈ではある。しかし、旅から戻った今はそんなことを「本当に某かの神がいて、僕に取り憑いていたのかも知れない…」なんて思っている。



f:id:datetaira:20210809225612j:plain

さて、「そぞろ神とか道祖神」という単語の出元は中学生の頃の国語教育によるものである。当時は「おくのほそ道」の頭のところは諳んじられるくらいによく読んでいた。国語の試験に出るから、というのも理由の一つだが、何だか含蓄があり惹かれていた文章の一つでもある。

…であるにも関わらず、中学生当時から35年も経過した僕の頭の中には、既に「おくのほそ道」の文章はほとんど残っていなかった。

旅から戻ってすぐに書店に出掛けて「おくのほそ道」を購入した次第。それも口語訳がしっかり乗った初心者向向けのやつ。

芭蕉の名作の感想はまた今度。
しかし、素晴らしい作品だったし、旅に出る前に読んでおけば良かった。