【旅の思い出】無花果

この「夏旅」で山陰の町を自転車で走っていた。

なにも自転車で走っていた時にだけではではないのだけど、田舎町に行くとちょっとした空地みたいにところとか、畑の片隅とか、時には駅のプラットフォームの外れのあたりに無花果の木が茂っている光景をよく見た。


よく考えてみると「無花果」の存在は知っていても、この何年もその実を食べたことはなかった。僕のおじいちゃんのウチにも無花果の木があって時折その実を食べた記憶はある。しかし、ある程度の年齢になってからは、季節の果物として無花果を買い求めて食べた記憶なんて全く無い。

その存在を認識しているけれど、実体験の伴わない果物の代表格が無花果であるようにも思う。まあ、ドリアンとかドラゴンフルーツとか珍しい果物は他にもあるけど、その2つは大人になってから食べた記憶があるのだから、無花果の方が「身近な他人」と言うことになるのだろう。


この夏、出雲の町では本当に沢山の無花果ノ木を見かけた。至るところに植えられた無花果の木に実ったその緑の実は固そうで、まだ熟れていない。それでもその木の側を通るとほのかに無花果の香りがした。

青い未成熟の無花果の実から香りが漂うなんてことは無いと思う。おかしなことだとも思うが、本当に甘い無花果の香りを感じたのだ。

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旅から戻った僕は無花果を買った。
旅の間も、無花果をよく見かけたし、その香りが「なんだかとても懐かしいもの」のように、思い出されたからだ。思い出すほどの無花果についての思い出なんて持っていないのに!


子供の時以来、本当に久しぶりに食べた無花果は全く美味しくなかった。これは、僕の食べたものがまだ熟れていなかっただけで、きちんと熟した無花果は美味しいものなのだ…と無理矢理に思い込むようにしている。