南瓜の種

少し前に久しぶりに南瓜を食べた。

当たり前のように僕は戦中派ではないのだけど、南瓜やら薩摩芋というものをそんなに好まない。…なんて言っておいて、薩摩芋は年に数回買うし、南瓜も年に一度くらいは買っているように思う。

いずれの野菜も天婦羅をこしらえる際に、娘の好物なのでサービスのような感じで買って来て揚げる。薩摩芋については、天婦羅の師の教えに従って揚げると随分と美味しい天婦羅に仕上がる。

これは天婦羅を振舞ったゲストからの好評に応じて揚げていたのだけど、自ら食べてみてもその美味さに割と驚いた。そんなこともあり、近年、少しずつ薩摩芋を好きになっているようにも思う。

そうそう、「天婦羅の師」と呼んだところでその方に直接の教えを受けた訳ではない。勝手に書籍を読んで「師匠」だと決めているだけだし、こちらの都合と好みによって師の教えなんて簡単に無視したりもするのだから、雰囲気でそう称しているだけである。



さて、話が「天婦羅と薩摩芋」に移ってしまいそうなので南瓜に戻すのだけど、今回の南瓜は「焼肉用」に買って来たものだった。

僕は、肉を食べるのは好きだが焼肉屋にも殆ど出掛けないし、自宅で鉄板焼をやることも滅多に無い。

旅から戻って来たら、友人の家族から「上等な焼肉用の牛肉」をいただいた。その肉を使って子供たちと焼肉を楽しもうという際に、一緒に鉄板で焼いて食べる野菜として南瓜も買って来たのだった。


もう13年前のことになるが、次女が誕生したその夜に、うえの子供二人と当時から仲良かった友達と四人で自宅焼肉を楽しんだ。その時にも南瓜があり、肉をあまり好まない長女がその南瓜を喜んで食べていた。本人はもう覚えてもいないだろう。しかし、その光景を僕はよく覚えている。

…って、また「家庭焼肉と子供たちとの思い出」に話が移っていきそうなので「今回の南瓜」の話題に戻そう。



まあ、そんな理由で買って来た南瓜なのだけど、結局、焼肉の時には食べなかった。理由は「肉を食べるのに夢中だった」からだ。そして残された南瓜はしばらく後の僕が一人で食べる食卓に登ることになった。

珍しく南瓜を食べた数日後、いや、翌日だったかも知れないけど、捨てようと思っていた南瓜の種がふと愛おしくなった。

その時も酒が入っていたからそんなふうに思ったのかも知れないし、食べた南瓜が思いのほか美味しかったからそう思ったのかも知れない。

その瞬間の僕は、南瓜の種をゴミ袋に入れずにベランダのプランターの土に指で穴を開けて、8つの南瓜をの種を埋めておいた。


それから1週間も経たないうちに、ふとプランターに目をやると3つの芽が出ていた。

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これはこの間の日曜日の昼間の写真。
南瓜や芋は育ちやすいので、戦時中にもそこらに植えたと言うことは知っていたが、こんなにも早くに芽を出すことに驚いた。


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そして、これが今朝(火曜日の朝)の南瓜の様子。
僅か2日で随分と葉っぱが大きくなっていることに驚いた。生まれたばかりの赤ちゃんが1週間くらいでいきなりハイハイしていたような驚きだった。

しかし、僕の驚きはこれでは終わらない。
月曜日の夜に会社から帰って、赤ちゃん南瓜(生えたばかりの芽をのことなのだけど)を見たら、葉が閉じられていて「あたかも眠っている」ように見えたのだ。

そんなことはないだろう。たまたま水が足りないか何かで、葉の向きが変わっただけに違いないと考えて水を与えてから眠ったら、翌朝は先ほどの写真のように葉っぱを張っていたのだ。何かの見間違えだったのかも…と思いながら、今夜ウチに帰って来た。




…!
……そしたら、南瓜の芽は眠っていた。
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生まれて間もないと思っていた赤ちゃんが、自分でふとんを敷いて勝手に眠っているのを発見したような気持ちだ。

南瓜は凄い。