ジージャンの思い出

ジージャンが好きだ」なんてことは過去にもこのブログに書いた。

同じようなことを書くのかも知れないけど、過去のブログを見返さずに、今現在の「ジージャン愛」について記す。


秋晴れの昨日は一日ジージャンを着て過ごしていた。
ジージャンというものは保温性に富んだ衣類ではないけど、僕の好むジージャンはヘビーオンスのものなので厚手であり、それなりの暖かさはある。

と言うか、保温性とか着心地の良さなどではなく、まず「ジージャンを着る」という行為も、そしてジージャンという衣類自体が好きなのだ、僕は。


記憶にあるジージャン遍歴を記すのだけど、本当に小さい頃にも母親が着せてくれていたジージャンを気に入っていたような気がする。

そもそも、ジーンズの生地、デニム自体を僕は大人っぽくて格好良いと思っていた記憶もある。しかし、ジーンズ…と言うか、当時の呼び方に倣って言うならば「ジーパン」を穿いているうちに膝が抜けてきて色落ちのしたものを幼少期の僕は不満に思い「色の濃いやつを履きたい」と主張したところ、母親から「ジーパンは穿いて古くなったものほど格好いい」と諭された記憶すらある。

お洒落に疎く、増してやワイルドな格好についての見識など持ち合わせない僕の母親が本当にそんなことを思っていたとは思えないから、それはやはり「倹約」というような狙いから、古い服を僕に着させるための方便に過ぎなかったのだろうと思うし、当時の僕も「その説」に納得していなかったようにも覚えている。


さて、その記憶は置いておいて、ジージャンの思い出に戻そう。


自らの意思でジージャンを着たのは中学2年生の時だ。母親に頼んで田舎町の店で「エドウィンのケミカルウォッシュのジージャン」を買ってもらった。

今の思うと、このジージャンは80年代後半の世相とスタイルを思いっきり盛り込んだ相当にダサいものだったのだけど、当時の僕はメチャメチャに気に入っていて、コートなど着ない中学生のことだから秋〜冬はもちろんのこと、夏場もTシャツの上に羽織ったりしていた。

ケミカルウォッシュがダサい…と気付かされたのは高校2年生の時(90年)だと思うから、それまでの3年間くらいフルに着用していたはずだ。今、残っていると「衣類の流行が数回転していて伝説的なダサ古着」として、変な意味で相当にお洒落なアイテムに見えるのかも知れない。物持ちのいい僕の母親は捨てずに取っているのかも知れないけど。


さて、今にも通用しそうなジージャンを着始めたのは高校3年の時だ。アメカジブームで田舎高校生だった僕も一丁前にリーバイス501を穿くようになっていた。

高校2年生になった頃から読み始めたメンズノンノにリーバイス501とか505のことが乗っていて、田舎町の「ジーパンセンター」という店名のカジュアルショップに出掛けて「リーバイスブック」をもらい、教科書のように読み込み眺めていた。

赤タブでハンドウォーマーのついたUSメイドのフォースのものが当時普通に売られていたのだが、前述のジーパンセンターに出掛けた僕はオレンジタブのジージャンを買った。

今思うとこのチョイスは間違っているのだけど、当時はオレンジタブが姿を消した頃だったので、浅はかな僕はレア物を持っている気分になって誇らしくオレンジタブのリーバイスを着ていた。これは1990年〜92年にかけてのことだ。


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写真は僕がまさに高校生だった頃のリーバイスブック。長いことジェームス・ディーンが広告に使われていたけど、ジェームス・ディーンはLeeを穿いていた…なんてウンチクも高校生の頃は喜んで喋っていた。

また、シルバータブというヨーロピアンなデザインジーンズもプッシュされていたことを、この写真(ネットの拾いもの)を見て30年ぶりくらいに思い出した。


時代によっての流行りはあるが、クラシカルな501とかレッドタブのアメリカ製のものの方がやはり普遍的なカッコよさがあるのだと、おっさんになった今ではよく分かる。