ポン酢の思い出

「ポン酢」という調味料を好きだと認識し始めたのは随分と前からのことだ。


小学校の低学年の頃は、冬場の鍋物をポン酢で食べるのが嫌だったことを覚えている。柑橘類の酸味に美味しさを感じなかったのだろう。やけに酸っぱくて、鍋ものの具材の味を損なわせるように思っていたことを思い出す。

しかし、小学校の中学年になる頃にはポン酢という調味料を好きになっていて、自宅でのホットプレート焼肉の際には焼いた肉をポン酢に浸して喜んで食べていた。

当時の記憶ではデューク・エイセスだったかダークダックスだったか?年配の男性コーラスグループが「焼きシャブどうですか?」なんて感じで、焼肉をポン酢で食べることを推奨するTVCMを放送してことをよく覚えている。

当時小学生の僕はこのCMにまんまとハマり、以来、すっかりとおっさんになった今に至るまで、ポン酢という調味料を好きでいる。



ポン酢への覚醒から約10年後、大学生になった僕は大阪で暮らしていた。大阪という街は「関西芸人やら関西タレント」で、テレビのキャストが埋め尽くされ、リンカーンの政治名言ではないが「関西人の関西人による関西人のための番組」が成り立っている地域であることにも、当時の僕は大きく驚いたものだ。

それまで田舎で暮らしていて、東京発の全国放送のテレビ番組がテレビの全てであるように思い込んでいた僕には「関西人(による関西人…途中省略)番組」は本当に衝撃的だった。もう、引退したものだと思っていた「全国放送のテレビでは見ないタレント」が、その番組では普通に活躍しているのだから…。


そんな生活の中で、今でも関西では大御所なのだけど「ハイヒール」のリンゴが深夜番組で「私はポン酢が大好きで、更に垂らしたポン酢を箸で舐めながら酒を飲む」というような話しているのを見た。

これには大いに共感し、僕もリンゴ姐さん(芸人ではないがポン酢好きのセンパイとして、彼女のことを姐さんと呼ぶのだ)を真似て、ポン酢を浸した割箸をシガミながら、酒を飲んでみたりしたものだ。


そもそも、大阪という土地自体がポン酢に対してはこだわりの強い土地なのだろうと思う。ポン酢で食べると美味いものも多くあるし、市販のポン酢自体、そこらのスーパーに美味しいものが沢山売られていた。

そんな大阪で過ごした大学生の頃には、僕は「鍋研究会」なるものに属していたこともあった。この「鍋研究会」はあまりに面白い活動だったので、また別の機会に詳細を記したいと思うのだけど、そこでも関西人のポン酢へのこだわりを知ることになる。

それまでの僕にとってのポン酢は「味ポン」だった。コマーシャルでよくやっていたので、安易に味ポンをよく買っていたし、何より特価で安く売られていることも多かったように思う。

そんな味ポン一択の僕に対して、鍋研究会のとあるセンパイは「このポン酢がうまい」とか「大根の葉っぱも細かく刻むと鍋の薬味としてうまい」とか「雑炊に入れるメシは軽く水洗いするとサラッと仕上がってうまい」とか、鍋を研究する団体のセンパイらしい教えを僕に施してくれた。


そのセンパイが教えてくれたポン酢そのものではないのだけど、大人になってからの僕は「自分で美味いと思う、それなりの市販ポン酢」に辿り着き、以来、そのポン酢を多用しながら過ごしてきた。


ここまでがポン酢についての思い出話である。
そんなポン酢への考え方や接し方も、近年変化してきた。このあたりについては、また別の機会に記したいと思う。