僕は普段メシを炊く時に「文化鍋」を用いている。
このブログでも何度か書いたこともあるが、今日は文化の日なので文化鍋のことを記しておく。
「文化鍋でメシを炊く」という行為は立原正秋に憧れて僕の中で採用された行為である。もう20年近く前のことだろうか。
「文化鍋で炊いた方が美味い」とか「昭和中期はこれだったよね」とか、いろいろな文化鍋を持ち上げる話はあるが、僕が文化鍋を用いる理由は「立原正秋が推奨したから」である。
今の世の中にはメシを美味く炊くために相当に高価な電気釜も売られているそうだ。メシを炊くには電気がなくては炊けない…なんて信じている馬鹿ガキもいるそうだ。
メシを炊くのなんて、米と水と何かの鍋と火があれば事足りる。それをどれだけ効率よく美味しく炊くか?というだけなのだから、正直言うと別に文化鍋でなくても美味しく炊けるし、鍋なんて何でも良いのだろうと思う。
しかし、気に入った道具を使うことで作業自体が楽しくなる。という効果も大きいことだと思う。道具を長く愛して、大切に使うこと。次から次へと便利なもの探してみては安易に飛びつくような生活には確かさはない。そこには生活における文化の香りも感じ取れそうにない。