椎の実

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先日、椎の実を煎って食べた。椎の実を食べるのは10年ぶりくらいのことだろうと思う。


僕が小さな子供だった頃、お爺ちゃんに連れられて近所の八幡宮に生えた椎の巨木の元に行き、そこに落ちている椎の実を一緒に拾って帰って来た。

お爺ちゃんはその椎の実を手早く煎り、僕に食べさせてくれたのだけど、その当時はチョコレートやビスケットなどのオヤツよりも椎の実の方が「すごく美味しいもの」だと思ったことを覚えている。

歯ごたえはそれなりにあり固いのだけど、甘みがありコクもあり…とにかく美味しい!という記憶だった。

おそらく僕が5歳とか6歳の頃の記憶だから相当な記憶補正も入っているのだろうけれど、それ以来、僕は「椎の実は美味しい食物」と刷り込まれて現在までの40年くらいを過ごしている。


そんな椎の実に再び接したのは、今から10年くらい前のことだ。

家族で引っ越してきたウチのそばに小さな神社があった。この神社は今でも好きで、時折足を運ぶ…というよりも、生活導線の真っ只中にあるのだから、神事とは関係なくその神社は生活に入り込んでいるのだけど、とにかく、その神社の境内に大きな椎の木がある。

秋になると、その椎の木の元にはトンガッたドングリのような椎の実が沢山落ちる。

子供の目には「ドングリ」と「椎の実」の違いは分からないのであろう。僕の子供たちはドングリを拾う感覚でその椎の実を拾っていた。もう10年近く前の思い出だ。


「椎の実は美味しい」
そんな記憶から、僕は椎の実を集めることを一緒に遊んでいた娘たち二人に命じ、沢山の椎の実を収穫した僕たちは帰宅してからそいつを煎って、美味しく食べたはずだ…。

ここの記憶が曖昧である。
椎の実を拾い、それを煎って食べたことはしっかりと覚えている。そして、その椎の実が大して美味しいものではなかったこともちゃんと覚えているのに、二人の娘たちがどんなに反応をしていたのかは思い出せなかった。



そんなあやふやな記憶ではあるが、先日どうにも懐かしくなって神社の境内でとても久しぶりに椎の実を拾ってみた。

拾い始めると、誰に対抗する訳でもないのに一番多く拾いたいような気持ちになるのを不思議に思いながら、30個あまりの椎の実を夢中で拾い集めた。

10年前にも「拾ってみて、煎ってみて、食べてみて」という体験をしているのだけど、そいつを無視して「今現在、椎の実を食べてみたら、もしかしたら美味しいのかも知れない」という根拠もない期待があったのだろう。

そんな期待に突き動かされて、椎の実を拾ったのだけど帰宅するとやはり面倒になってしまい、それらを小鉢に入れたまま一週間が過ぎた。


そんな一週間が過ぎ、僕としては「今年も集めてみたのだけど、この椎の実をどうしようか?」なんて思っていた時だった。

その椎の実を見つけた娘から「わあ、椎の実じゃん!懐かしいね!」と言うような一言を聞いた。

「椎の実の懐かしさ」だけで言うならば、こちらには40年の歴史もあるのだけど、10年前の「椎の実記憶」を覚えていてくれて、声をかけてくれた娘の一言は僕にとっても大きいきっかけとなった。

その一言で、実に懐かしい椎の実体験を楽しむ一時。
そんなに椎の実は美味しいようにも思ったし、よく考えると大して美味いものでもないような気もした。

でも、色々な経験やら思い出をまとめて判断しよう、椎の実は美味い!以上!