募金活動について

先日、NHKで歳末たすけあい募金の番組をやっていた。

随分と久しぶりに「歳末たすけあい」というものの存在を思い出した。


小学生の頃のことだが、僕の通う学校では児童会の役員たちが12月になると毎朝校門近くに辻立ちして、投稿する児童に募金を呼びかけていた。

毎朝毎朝、子供たちに募金を促して、募金しない奴は助け合いの精神を持たぬ奴と思われるような「同調圧力商法」である。

一定期間、金を集めた後に児童会の役員が全校でどれだけ集まったかの発表を行い、NHKに持っていって感謝される…という流れだったが、僕はこの流れが大嫌いだった。

とにかく児童会の奴らが偉そうなのだ。
毎年行われていた行事なのだから彼らが独自に思いついた慈善活動ではない。そこには何の新規性も発想力もにい。

そして、募金活動にや寄付活動において偉いのは金を出した人間である。出資者こそが偉い。そうした善意の寄せ集めなのに、児童会の奴らは「集めた自分たちの功績」のように振る舞っていたのを訝しく思っていた。

こんなことがあったので、僕はほとんどこの募金をしたことがない。そして、今に至るまで募金という物自体を「クソのような行為」だと信じて疑わない。


昨日、街を歩いていたら年配のおっさんたち5人くらいが「盲導犬を普及させるための募金」みたいなのを募っていた。

こんなのに限らず、あしながおじさん募金とか中国での民主化のためにみたいなやつとか、街角にはそこらを歩く人から少しでも金を巻き上げようとする募金活動が溢れかえっている。

前述の盲導犬のおっさんたちは余程暇でそのうえ馬鹿なのだ。おっさんと言っても動けないようなじいさんではない。寒い街角に立ち、通行人に話しかけるほどバイタリティ溢れたおっさんたちだ。

なぜそのエネルギーを労働に回さない?
募金を募る時間を使って工場労働でもして、その賃金を募金に回したほうが効率いいだろう?
いい年したおっさんたちであってもそれなりの労働力になるのだから、馬鹿な募金活動するより働けよ!
そのほうが社会的な貢献になるだろう!
世の中に貢献したいのなら、人に訴えかける前にまずはお前がやれ。「隗より始めよ」だ!としか思えない。


大学生のサークル仲間にみたいな奴らが大勢で募金活動をしている時にも「お前らが働け!」と思う。

いやいや、あれは金を集めるだけでなくて、世の中に募金の必要があることを訴えて広めているのです…という主張は無視する。

本当に大切さを伝えたいならば、きちんとした説得力のある逸話などの資料展開などを行うべきだ。無料のSNSだってあるし、働きた金で有料の意見広告を打てばいい。


あれは募金活動している人の「社会的にいいことをしている欲」を満たすだけのマスターベーションなのだ。そうして承認欲求を満たす人の方が「助け合ってもらわないといけない心のヤミ」を持っているのだと思う。