【2021年を振り返る】服飾

今年は特に新しい服を買った気がしない。

「買った気がしていない」だけで、数日前にもユニクロに出掛けて分厚いヒートテックを買ったし、夏にはパンツも買った。ボタンダウンシャツも一枚夏に買ったのだから、服を買っていない訳ではないが、そうしたものはオシャレの為でもなく、生活必需品で消耗品の一つとして買っているように捉えているので「服飾品を買った気にならない」のだ。


服飾についての物欲はおっさんになった今もとどまらない。毎日、その日のうちに使わなくては無くなってしまうお金を貰えるのならば、今よりもっと服を買うことだろう、そんなことは起きないのだけど…。

服を買わなくなった理由の一つとしては「日々の生活の中でビビッと来る機会が本当になくなった」が挙げられる。これは僕の住む町の環境がそうさせるのだ。

この数年、店舗で服を買うこともぐっと減り、ネットで買うことも多くなった。買物のスタイルのことを思うと、別に街を歩いてビビッとくることがなくても服を買うことにはそんなに影響もないように感じるのだけど、やはり現物を目にしてのインパクトとか欲望というのは凄いと思う。

実際には「ビビッと来る機会の減少」以上に「だいたい欲しいものは既に揃っている」ことも大きいのだと思う。

職場に来ていく服は特に華美なものを求めないし、一通り着るものに困らないだけのシャツやジャケットは揃っている。夏のジャケットは随分とくたびれてきたので、来年の夏前にはジャケットなんかを買うのだろうけど。

靴もオンに履く革靴もおそらく一生履けるくらいのものは持っているし、オフに履くブーツやスニーカーも揃っている。

日々、身に付けるものではメガネはいくら持っていてもまだ欲しくなるのだけど、これこそ現物を見て自分でかけてみて欲しくなるようなものだから「今年は魅力的なメガネに会わなかった」というのが正直なところだ。


新たにモノを欲しくなることは本当に減ったのだけど、使っているものを修理したり、ケアするための出費はそれなりにあった。靴の修理だったり、ジャケットのリサイズだったり…。

僕が新しい服やらメガネを欲しがることは、おそらく死ぬまで続くのだろう。しかし、「足るを知る」ということも年々分かり始めたようにも思う。

数多くはない本当に気に入ったものを大切にしていく生活、そんな生活を送れるようになるには何年かかるか分からないが、シンプルな生活を目指したいものだと思う。