新年の抱負

2022年が始まって既に11日が経過しようとしている。

年末年始の休暇もとうに終わって仕事も始まっているし、松の内というのもとっくに終わった。なにも正月気分で浮かれていた訳でもないが、この一年で取り組もうと思ったことをちゃんと整理していなかった。

年が明けてからの11日間は「娘のことに明け暮れた」ような気がする。親が子供のことを慮るのは当たり前のことなのだろうが、不良親父の僕は自分を奮起させないとそんな当たり前のことすら疎かになってしまう。

だからと言って、親業をしっかりやっていたのだからその他のことがおざなりになってもいい訳はない。日々、時間が過ぎていくことは早く感じる一方だ。気を抜いていると本当にあっという間に爺さんになってしまうのだろう。

…という訳で、今更ではあるが今年取り組んでおくべきだと思うことを記しておく。本当に今更のようにも思うが、一応「こんなブログに」であっても考えや意志を整理して書き留めることが大切だと思うからである。



■御馳走でもない御馳走を大切にする。

食べることばかり書いているので、これを見る人は僕が相当の食いしん坊だろうと思うはずだが、それは否定できない。僕の生活において「ものを食べる」という事は本当に大きな意味を持つ。

言い訳めいたことを言うならば、「食べること自体」よりも「それを支度することや振る舞うこと」そして「ものを美味しく食べられる精神状態や生活環境」を大切にしたいと思っているのだけど、簡単に言うと「食い意地のはったおっさんの屁理屈」みたいにしか捉えられないのだろう。それもそれで否定しない。

昨年一年を振り返ると「化学調味料に頼らぬ食卓」というのを相当に前進させることが出来たと思っている。今年はこれを更に確立させつつ、素朴な料理をどれだけ美味しく作るかということに力を注ぎたい。

メシと味噌汁、そして簡単なオカズ。
人を饗すには物足りなく思うような献立であっても、感動的な食卓を作り出すことは出来るはずだ。

人にものを振る舞うときにはついつい分かりやすく高価なものに頼ってしまう安直さがぼくにはまだある。ここを改善したい。勿論、分かりやすい御馳走も食べるのだけど…。


■音楽を自ら行う。

僕の生活において、音楽は欠かすことの出来ないものだと思っているし、日々の生活の中で音を楽しんでいる。それが音楽なのだけど、もう何年も自宅で音を聴くばかりで自ら音を発することから遠ざかっている。

今年は拙いものであろうとも、音を出すことに取り組みたい。これはこの先、僕がモノホンの爺さんになるまでを見据えた趣味として取り組みたいと思うことだ。


■勉強をする。

先日来の「中学生の末娘との勉強」を経験して感じたのだけど、やはり基礎的な中学生勉強にも大人が知っておくべき知識はどっさりと詰まっている。年月とともに忘れ去ってしまうことも多いのだけど「別に生活に支障をきたさない」なんていうような勝手な言い訳を作って、知識を増やすこと自体を疎かにしている自分自身に気付いた。

大人の教養としてカッコいいことを勉強していると本当にいいのだが、そんなカッコよさを追い求めていて、なんだかんだ理由をつけて勉強をしない自分がいることにも気が付いた。そんなに「変な理由付け」をせずに、忘れ去った基礎的な知識の再習得から取り組みたい。



……って、当たり前の話なのだけど、ここに記すことは僕の生活においてごくわずかの時間を費やすことの出来る趣味に近い話題のことになる。

悲しいことではあるが、生活時間の多くを取られる仕事についての豊富は別にあるし、それらを片付けられたうえでの「余暇の過ごし方」での今年の抱負となる。

そんな「今年の抱負」ではあるが、少しずつであっても前進剳せていきたいと思う。