寒い夜に見たテレビ

今日は寒い日だった。

僕の住む地域はとても暖かい町だし、そのお陰で「気候のヌルさ故、気の抜けた冬を過ごすことになる」みたいなことは何度かこのブログにも書いているように思う。

今夜は寒いなあ…なんて思って気温を見てみたが、外気温は4℃くらいのようだ。全国的に見れば大して寒くもない冬の夜なのだろうが、この暖かな町に戻ってきて2年目になる僕も驚くような速さでこの地域に順応してしまい「今夜を寒くてたまらん夜」として過ごしている。

今日はエアコンをつけて、普段は20℃の暖房設定にするところを23℃にした。そして、愛用の石油ストーブもつけた。ここまでの暖房対応するのも僕にとっては珍しいことである。人の順応性というのも凄いものだ。


さて、そんな夜に僕はテレビを見ながら過ごしている。テレビでやっている「紅の豚」を見ながら酒を飲んでいる。

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紅の豚」について、宮崎駿オタクでもない僕がアレコレと語るのも控えておきたいようにも思うのだけど、この作品にはそれなりの思い出がある。

僕は18歳になって間もない春に大学生になり一人暮らしを始めた。多分、その夏に封切られた映画の一つが「紅の豚」だった。きっと1992年の夏のことだったと思う。

ものすごく期待しながら、大阪難波の映画館で一人で観たことは覚えているし、期待して観てみたこの映画が大して面白くもないものだと感じたことも覚えている。

その後も何度かテレビでやっていたやつを見たことがあるが、やはり面白くもないものだと思っていた。

ジブリの映画の画は綺麗だし、制作費も青天井で作っているようなゴージャス感があるし、声優もアニメの役柄を超えるくらいにイイ人を登用していて面白い。しかし、この映画は「ダサいスタッフたちがカッコいいことに憧れて作った映画」みたいな外連味が鼻について「むしろ本当にダサい映画」としか思えなかったことも覚えている。

20歳前に〜40歳前くらいまでの僕はスタイリッシュなハードボイルド作品に惹かれていた。スタイリッシュであることは重要なのだけど、この作品は変に90年代の流行りっぽくスタイリッシュなだけで「芯のないカッコつけ」だったり「やたらにゴタクを並べるモテないオタクの憧れ映像」のように感じたものだ。



そんな「紅の豚」との出会いから、既に30年くらいの年が流れた。すっかりとおっさんになり、登場人物のポルコ(主人公の豚)よりも年上くらいになって、体型的にもすっかりと豚のようになった僕にとって今夜の「紅の豚」は面白かった。

ポルコの体型よろしく、僕の感受性もすっかりと丸くなったのだろう。そして、登場人物たちによる「歯の浮くような男前の言な台詞い回し」とか「男女による劇的過ぎる駆け引き的なやり取り」なんていうものを「アニメの中でのおとぎ話」として軽く流せるようになったのだろう。


人は、アニメに限らず小説や映画の中の夢のような話に接してみて、その世界観に憧れたりする。

殊、若い世代であればそれを我が将来の事のように捉えて自己を没頭して、実生活で頑張ってみたりする。

そして、そうした想像経験と実体験がシンクロし始めるようになると「映画や小説の荒唐無稽さ」を馬鹿にするようにもなる。

そして、更に歳を取ってくると「いよいよそうした夢のある体験は自分にはないのだろう」という諦めのような将来に気付き、娯楽作品を素直におとぎ話として楽しめるのではないだろうかと思う。

僕はまさに「↑今ココ」なのだろうとも思う。