服に糊を付ける

日本一温暖なところだと信じている僕の住む町は今日も春爛漫を思わせる暖かさだ。

まだ桜の花は咲いていないので胸を張って春爛漫と言う程ではないのだが、屋外に花見に出かけても寒くないほどの暖かな気温だ。そんな麗らかな春の朝、僕は服に糊を付けることを決めた。


一人暮らしをして随分になるが、過去にスプレータイプの洗濯糊を買ってきてアイロン掛けする時にワイシャツなどに吹き付けてみたことはあるが、クラシカルな洗濯糊に服を浸して糊付けするのは初めての体験なのだ。

48年も生活してきて初めてなことがあるのに驚くような気もするが、人の生活なんてそんなもので、便利になればなるほど自分で実際に行った経験のある物事なんて減ってくるのだろうと思う。


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本日僕が糊付け作業を施したのはジージャンである。このブログにも何度か書いているが、僕はジージャンという服が大好きだ。

若い頃から好きな上着なのだが、25〜40歳くらいの間はジージャンを着ることから割と遠ざかっていた。そして、すっかりと我が身のおっさん体型が確立された40を超えたあたりから再びジージャンをよく着るようになった。

パリッとしたインディゴの濃いジージャンを買ってきて、とにかく着倒してエイジングさせていくこと、そしてそうやって成長させたジージャンを纏うことが楽しく嬉しい。これは革ジャンにも同じような楽しさがあるもので、考えてみるとジージャンも革ジャンもおっさんになってから着用頻度はずっと増えた。

心の奥底で僕は年々「ジージャンや革ジャン」という若者カジュアルが似合わなくなっていることに歯向かいたいのかもしれない。


さて、そんなジージャンに糊付けをしたのは「日々励んでいるエイジング作業に拍車をかける」為である。

普段、仕事にジージャンを着ていくことなどないので、休日にジージャンを羽織っているくらいではジージャンにイイ感じで味が出てくるのなんて10年以上先のことになるだろう。そんなに気長に待てない僕は、仕事から帰宅するとジージャンに着替えて過ごし、眠る時もジージャンで寝たりする。

洗濯は極力しない。こういう「30年くらい前の学生時代に励んでいた」デニムへの向き合い方をこの数年行っている。学生の頃には買ってきた501を穿いたまま風呂に入ったりしたものだ。ジージャンを着て全てのボタンを締めて寝たことがあったのも思い出した。

ただ、これには僕の中での流行りがあって、いつもいつもジージャンを着て寝ている訳ではない。ジージャンを着て眠るのはそれなりに疲れるのだ。

こうしてエイジング作業に取り組んでいるが、ジージャンを着ていて、たまにではあるが洗濯をするとそれなりのアタリが出てくるし、インディゴの色も落ちてくる。そして当初はガチガチだったデニム生地も柔らかく靭やかになってくる。

これはエイジングそのものなのだが、アタリがいい感じに出てくるよりも先に全体の色が落ちてくるし、生地もクタッとしてくる。

この希望しないエイジングを防ぎ、カッコいいアタリが一層出やすくするために今日はジージャンに糊付けをしたのだ。

靭やかになってきた生地をもう一度ガビガビにさせる。すると肘のあたりもバキバキになってきて深いシワが入るようになる。糊付けによって硬くなった生地は擦れるところも靭やかに曲がらなくなっているので、これまでと同じ着用頻度であってもイイ感じにエイジングしてくるはずだ。


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濃いめに糊付けして、陽春の陽の光と春風にあたったジージャンは程よいバキバキ加減に乾き、一応自立するほどの硬さに仕上がった。

こいつを着て眠るのはこれから2ヶ月くらいが限界になるのだろう。いい歳をしたおっさんがジージャンを着て寝ているなんて滑稽に見えるのだろうが、好きなものに取り組むことなんてそれに興味の無い他人から見れば大抵滑稽に見えるものだ。

持っている気に入ったものを「更に気に入ったもの」に育てる行為。これは僕にとってはとても大切なことなのだ。