「只より高いものはない」と言うが…。

先日の愚息の引越の際に思ったことを書く。


息子は進学する大学から程よく近く日常生活を送るにはそれは便利な下町情緒溢れる街に住むのだが、それはそれとしても新生活を始めるには何やかやと金がかかる。

学生の一人暮らしとは言え、その際に支度した家財道具なんて、ともすれば一生使うようなものだってある。

実例を挙げると、ってこの場合の実例は僕の生活のことを書くのだけど、大学に入学して一人暮らしを始める時には実家から母親が同行してくれて、下宿から割と近くのダイエーで生活道具を買い揃えてくれた。


当時から30年経つのだけど今でも使っているものと言えば「コンポのスピーカー」と「玉杓子」だ。この2つをこんなにも長く使うとは思ってもいなかったが、こいつらは今でも我が家でかつやしている。

両者とも大したものではないのだけど(そんなことを言うと買い与えたくれた母親に申し訳ないのだが…)、10年くらい前からは「あの時、買って貰ったものだから大切に使わなくては…」みたいな意識で大事に大事に使っている。


さて、実例を挙げてみても30年後の今でも使っているものなんて少ししかないのだけど、それは僕の商品選定能力が劣っていて、30年後にも使えるようなものではなく数年でダメになるような長い使用に耐えきれないものを買って貰っていたなのだからだと思っている。

食器などは、男子学生の乱雑な扱いだから割ったりチップしたりするのだけど、フォークやスプーン、そして日常で使う道具なんてほぼ一生使えるものだ。使えなくなるのではなく、デザインや使い勝手で使わなくなるような粗悪なものを最初に手に入れてしまうと、結局は「安物買いの銭失い」になるのだろう。

そんな目線を持って息子の家財道具を揃えてもいたのだが、やはり安くに抑えたいという思いも強い。いや、そちらのほうが強くなるくらいに何やかや揃えるには金もかかるのだ。

そんな葛藤を持ちながら下宿の設備充実を進めていると、近くのゴミ置き場にカラーボックスが捨てられているのを見つけた。

昼間に見つけたのだけど、一日目の下宿作業を終えて、夕食の宴席中にも僕は「そのカラーボックス」のことが気になっていたので、夜中に息子と手伝ってくれている舎弟を連れてカラーボックスを拾いに出掛けた。


f:id:datetaira:20220406224301j:plain

拾って持って帰ってきたカラーボックスは、現在、息子の下宿で存分にその収納力を発揮して主力商品家具として活躍している。

誰が買ったのか分からないけど、ふつうに金を出して買うには趣味の悪すぎるピンクのカラーボックス。安易な収納家具の代表格であるカラーボックスで尚且ダサさ全開の品ではあるが、こいつはロハなのだ、そう只なのだ!

そのカラーリングも相まって「捨てられて当然」のようなものではあるが、今ではそこに貼り付けられた「粗大ゴミシール」すら愛おしく思うし、悪趣味なピンクのカラーリングすらもパンキッシュでお洒落に見える。