ついに春が去る

端午の節句が終わり、八十八夜も終わり、世の中は初夏を迎えている(はずだと思う)。

過ごしやすく気候のイイ日が続いているが、このところ雨も増えてきた。徐々に夏が近づいていることを肌で感じる。

そんな状況において「春が去る」という記事を書くのものもおかしな話なのだが、今夜あたりで本当に春は去るものだと僕は見做している。逆に言うと「今夜はまだ春」なのだ。晩春なのだ。

僕における「まだ春だ」と言うこの理屈を説明しよう。

季節の捉え方には様々な切り取り方がある。

受験生においては志望校からの合格発表が届いてようやく春が来るのだろうし、一生を春だと感じて生活するほどの御目出度い…もとい、ラッキーで幸せな人もいるだろうけど、そういう「春」ではなくあくまで僕目線(ある程度は社会常識を踏まえる)の季節としての春について記したいと思う。


季節の移り変わりを単純に日にちで決める方法もあれば、気候で決めることもある……というか日にちで決める人が大多数だろうし、そこに気候を合わせて判断することが大凡すべての季節の境界線の決め方なのだろう。

それらも正しいのだが、僕は食卓に上るもので季節を決める。

昨夜のことだが、僕はコシアブラ胡麻和えを食べた。

春の野草というとタラの芽が代表格のように思う人も多いだろうが、コシアブラも人気のある野草だ。僕が食べるものはスーパーで買ってきたものであり、野山で摘んできたものではないから「野草」ではない。「野菜」と呼ぶ方が本当は正しいのかも知れない。

時期でいうとタラの芽よりも少し後にスーパーに並ぶ。これは情けない話だが、山に自生しているタラの芽は採ったことがあるので、その形状や繁殖地、採取出来る時期や気候なども分かっている。しかし、コシアブラは採ったこともなければ自生しているものを見たこともない。

そんな恥ずかしい「コシアブラとの接し方」なのだけど、5月の中旬くらいになってくるとコシアブラも「盛ゆえの飽和状態」になってくるのか、僕のよく行くスーパーでも見切り品になって凄く安くに売られていたりする。


一パック500円くらいで売られているコシアブラも簡単に見切り品コーナーで購入出来るようになるのが5月の中旬であり、この時期まで僕は春が続いていると捉えている。

写真を載せたコシアブラなんて一パックで500円くらいするはずなのに、見切り品になると4パックで300円!7分の1程の価格で買えるようになると僕は躊躇せずコシアブラを買う。

そんな行為を過去この時期に何度行ったのだろう?
この何年かは「春の締め括り」として安売りのコシアブラを食べて、それから気持ちの上でも本格的に夏を迎えているように思う。


苦味と野趣溢れる香りの強いコシアブラ胡麻和えを食べた翌日(それが今夜なのだが…)、僕のよく行くスーパーにはまだ辛うじて残っている春の雰囲気を高めてくれる食材が、それこそ「春の締め括りの総決算」とでも言わんばかりの見切り品として売られていた。


僕は時代の先を行く男ではないし、食物についても「はしり→旬→盛り→名残」であれば、名残のものを買い求めることが多い、そりゃ安いから…。

名残の春の食材で彩られた僕の今夜の食卓。
これで春は去っていく。
なんだか寂しいような気持ちもするが、それこそ「別れなければ次の出会いがないだろう」だ。

いよいよ春から夏に季節は移っていく。