しばらくぶりのブログだが…

この一週間は不本意な酒を飲むことが多かった。
会社の上司に行きたくもないのに飲みに連れて行かれたのだ。


これが本当に不毛な時間だった。
単に「現場マネージャー」のように連れて行かれる飲み会なんて、昔は仕事の一部として納得することが出来ていたのだが、今では「そんなくだらんこと」に時間を割くことを我慢できないようになっている自分に気が付いた。

コロナ流行の良かった点は「馬鹿で嫌な奴との変な付き合い酒」を断ち切れるようになったところだ。

仲のいい仲間とはこっそりと飲みに行けばいい。それが後ろ指指されることだとしても「それでも飲みに行く仲」というのはちゃんとした仲間だったり、その時間が魅力的なのだろう。


僕は数年前から外の店で酒を飲むということが本当に馬鹿らしくなり、自宅で飲むようになった。

外の店でしか食べられない味というものはあるが、酒を含めた値段の高さと店内の快適さを天秤にかけると、金を払ってまで飲みたい店というのが本当に減る。


なぜ外で酒を飲むか?という動機を考えると…
■人と集まって寛げる場所が店にしかない
■酒やツマミの支度をするのが面倒だ
■そこに飲食したい献立がある
こんなところだろう。

僕に置き換えると、自宅は世の中殆どの店よりも快適だ。しっかりとした食器があってずっしりとしたテーブルがある。そして、好きな音楽もいい音響環境で流すことが出来る。

これを上回る場所もあるだろうが、間違いなく相当なルームチャージがかかるし、そこには愛用に食器や愛聴のCDはない。

食事の支度にしても基本的に僕は面倒だと感じない。感じるとすれば「そいつのためにわざわざ料理とか作りたくもない奴」と一緒の時だろう。

そもそも、そんな奴と時間を費やすことが勿体無いことなので、僕の生活において僕の意志でこんなに状況を招くことはない。

最後の「飲食したいもの」はあるにはある。
今、僕の住む町にはとにかくどうでもいいマズい飲食店ばかりで、そのため「外の店からの食の誘惑」というものはほとんどなくなった。

美味いか不味いかだけで言えば、外で食べる豚カツは美味しい。これをツマミに酒を飲むなんて美味しくて嬉しいことだが、豚カツは数百円ではない。

例えば1,500円でロースカツを頼んでも、酒を飲んてもう少し何かを頼めば数千円になるし、そもそも好きな音楽を掛けることが出来るか豚カツ屋などない。

付け加えると、今では殆どの飲食店で莨を楽しみながら酒が飲めるところもぐっと減った。これは愛煙家の僕にとっては「そこで酒を飲むに値するしない店」が増えた要因でもある。

単純に「自分ひとりで対価に見合う酒を楽しもう」と思ってもこんな具合なのだから、そんな場所にオゴりであろうとも出掛けることが楽しく感じられる訳もない。




そんな先週のつまらない出来事を思い出しながら、ひとり自室で楽しい時間を過ごす夜である。