人の作ったものを食べるということ

今回の記事は前回の続きとなる。
いずれも今夜の出来事だ。

https://datetaira.hatenablog.com/entry/2022/08/24/211852

さて、帰宅してドアノブを見ると、普段の僕の生活ではほぼ接することもない「ファンシーな袋」が引っ掛けてあるのを見つけた。

見てみると「末娘からの差し入れ弁当」だった。

「今日は仕事が遅くなるから、予定していた合同勉強は中止!」という連絡にビビッドに反応し、夜遅くに帰宅するであろう父親の夕食を気遣ってくれての「救援物資」のようだ。

こうした援助を貰うのは僕にとっては初めてのことだったので僕は驚きつつ、すぐに末娘にお礼の電話をかけた。

末娘が差し入れてくれた弁当は、彼女が今夜普通に食べていた夕食のオカズをメシとともにタッパーに詰め込んだだけのものなのだから、普通のあまりものの夕食弁当に過ぎないものだった。

しかし、中学生の娘の気遣いは「何ということはないメシ」を上等なディナーに仕上げてくれるものだ。

何ということもない夜の何ということもないメシ。しかし、このメシの記憶は僕にとっては長く残るものになるだろうと思う。


人に振る舞うメシというものは、食材の良し悪しとかどれほど手がかかっているのかとか、そこへの「物理的な価値みたいなもの」が大切だと言うことも分かる。実際、味や見てくれよりも「食材や食事の値段」で食物の価値を測定する人もいる。

しかし、「それ以上に食べる人を思い、出来る範囲で最善を尽くす…という気持ち」に勝るものはないと強く感じさせられた夜だった。