ベランダ菜園の世代交代

日に日に秋が深まり、「秋らしい」気持ちのいい気候が続いている。

少しでも寒ければ「やれ冬だ」と騒ぎ立て、少しでも暑ければ「まだ夏だ」と言うようなバカたちが「秋がなくなった」なんていうバカの上塗りのようなことを言っているのを聞く。

朝は寒く昼間は暑いときもある。中には一日中寒い日もあれば、暑い日だってある。それが秋なのだ。メリハリもなく程よい気候が続くことが秋なのではない。

前述のようなバカなことを言うバカたちは感性とか感受性とかを研ぎ澄まそうとしていない。物事なんて大抵のものが受け取る側の感性でその良し悪しが成り立つものなので、感性を蔑ろにするやつには良いものなんて分かるわけもない。

秋という心地よい気候だけでなく、美味しい食物や趣のある風習など、受け取り側がバカになって無視されたりどんどん簡略化されているものが多いのは嘆かわしい。

 

さて、僕がどれだけバカのことを嘆いてもそんなことには関係なく秋は深まっていく。バカのことは置いておいて我が家のベランダ菜園のことを書こう。

バジルが花を咲かせ始めたのはもう一月以上前のことになる。ただ、花芽は摘み取って花を咲かせないようにしていたのだけど、バジルを野菜のように食べる生活にも飽きてきたので、数週間前から好きなように花を咲かさせている。

白く小さな花なのでそれほど見栄えはしないがそこらで咲き誇り満開なのである。

そして、鬱蒼とした森のように繁りまくった紫蘇も花を咲かせている。

穂紫蘇を採って紫蘇の実を食べても美味しいのだが、僕はこの数年、春になると多量の紫蘇の種を蒔いている。それが無事に育ってどこかで自生してくれるのが夢なのだが、毎年いろいろな障害に阻まれてまだ紫蘇の自生は見ていない。

次の春にも沢山の種を蒔きたいと考えているので、咲かせた紫蘇の花は少しでも多くの種の収穫に繋がるように穂紫蘇を摘んだりしないことにした。

 

この春から夏にかけて、イタリアンパセリの花を咲かせて種を取ったのだが、花〜種までに結構な時間がかかった。種を結び茎や葉が枯れて、その種が熟成してとれるようになるまで3ヶ月くらいかかったのではないだろうか?

この間、それらのプランターは何かを生産するわけでもないし特に世話をすることもないので、言わば休耕田のような形になる。なので先週の日曜日に新たな種を別のプランターに蒔いておいた。

すると、一週間はもしないうちにびっしりと芽が出てきた。

手前のものが今回種を蒔いた「からし菜」である。それがどんなものなのかよく知らないのだけど、漬け物にしても美味しく寒さにも強くてよく育つらしい。それらはすべて種のパッケージに書いてあっただけのことなのだが…。

奥のものは数週間前に蒔いたイタリアンパセリだ。この秋〜冬にかけてはこの2つの作物と過ごしていくことになる。

季節が移っていくとベランダ菜園の様相も変わっていくのである。