娘の弁当

去年の秋から高校生の娘に昼食の弁当を作っていた。きっかけは彼女が母親との徹底抗戦体制に入り互いが意地を張り、ハンストと兵糧攻めのクロスカウンター合戦が行われた…という実にくだらんきっかけだ。

どんな弁当を作ったのか忘れないようにこちらのブログにもメモしていたのだけど12月はほぼ弁当を作っていない。前半は午前中授業で、そのまま冬休みになるのかと思っていたら、ラストの2週間は弁当が必要になった。しかし、この期間に娘は突然の酷い偏頭痛に見舞われ食物も食べられないような状況で学校を休んでいたのだ。

そして、年が明けてからは先週、2度ほど弁当をもたせた。1/5(木)から学校が始まったのだが、冬休みなんて1/7まであるのが当然のように思っていた。まあ、僕が子供の頃に比べると祝日も増えているし、土曜日も学校が休みになったので長期休暇の期間が短くなる以上に、その他の休みが増えているのでこれも仕方あるまい。

登校初日の弁当はちらし寿司と昆布巻きにした。年末に炊いた干瓢がまだ残っていたやら、数日前に柔麺にした油揚とか冷蔵庫の残り物を使ってのちらし寿司である。

そして二日目の金曜日はカニ玉とモヤシ炒め。カニ玉はその前夜に末娘と一緒に食べていたものが驚くほどの美味しさだったので、それを取り分けておいたものだ。いずれも娘には公表だったが、とくにカニ玉は嬉しかったようで喜びの報告があった。そりゃそうだ。奴がカニ玉を好きだったことくらいちゃんと覚えている。10年くらい前になるがカニカマでカニ玉みたいなのを作って食べさせた時にとても喜んでいたように記憶している。

さて、そんな弁当作りもあと3週間の作業となった。高校生の弁当なんてものは行楽弁当ではないなで、高価で華美なものである必要はない。むしろ、高価で華美なものではない方が望ましい。日々口にする「普段の食生活」を箱に詰めてちゃんと食べさせるだけだ。

オカズの全てを冷凍食品とか出来合惣菜だけの弁当を持ってくるやつも多いそうだ。それは弁当を作ったのではなく「弁当を詰めた」というのが正しい。「弁当作ってます」なんてことをいけしゃあしゃあという女の中には「詰めただけ」を過大評価してるやつも多いとのだろうと思う。

残りの3週間は、いや3週間【も!】ちゃんとした弁当を作りたい。

※僕は2週間に一度くらい冷凍食品を食べる。料理が下手くそな女もいるだろうから、そんなやつは冷凍食品もしようとすればイイ。不味い料理を弁当にされるより皆が幸せだ。

ただ冷凍食品オンリーの弁当を「作った」と言うのならコンビニの弁当を詰め替えて「作った」というのも同様だし、何なら白いメシの入ったタッパーと冷凍食品を袋のまま持たせた方が潔く見える。