23年春の天麩羅

一昨日の夜のことだ。天麩羅を食べた。

僕は「僕が自宅で客に振る舞う御馳走の代表格は天麩羅である」と思っている。これは買ってきたものをそのままウチで出すのでなくて、僕が客を饗す為に何を作れるのか?そして、何を食べされたら喜ばれるのか?といったことを混ぜて考慮してのことだ。

勿論、季節や気候に応じて食べたいものや食べさせたいものも変わってくる。冬の湯豆腐は御馳走だが、これが夏に出てくると拷問だ。酢豆腐よりはマシだけど…。

一昨日の天麩羅はそうした「饗し料理」ではなく、自分一人で食べたものだ。天麩羅of myself by myself for myself……そのものだった。

先週の半ばに農協で山葵を買ったのだけど、その際にタラの芽が売られているのも見つけて一緒に買っておいたものだ。例年に比べると随分と早い時期のタラの芽だ。

そして、その前日、娘との送別会で食べ切れなかった海老も冷蔵庫に残っていた。この食材を美味しく食べる方法はやはり天麩羅一択だろう。

こうした食べた天麩羅は美味しかった。僕が天麩羅を揚げる能力も着実に上昇しているように思う。

しかし、やはりなんだか足りない味わい。これは一人で御馳走と称されるものを食べている罪悪感によるもののようだ。美味しいものは誰かと一緒に食べる方がいい。