「大事MAN」は世代を超えて…

娘と息子の引越が終わった。

大学生になる…という生活ステージの変化とともに住む町まで変わり、大きな生活変化を迎えるのは娘なのだけど、それに伴い息子の生活も大きく変わるのだろう。

息子にとってはこれまでの風呂のない下宿ではなく、風呂付きの近代的な住処に引越すことになったし、多少生意気であっても仲の良い妹がやって来るのだ。そりゃ、これまでとは生活も変わる。

一方で、僕の生活は…と言うと、実際には大きな変化は無いのかも知れない。受験の追い込み時期を迎えていた娘とは年末からそんなに会っていなかったし、そもそも一緒に暮らしているのではないのだから、互いの住む場所が多少遠くなったところで、実際の生活には大きな変化も無いのかも知れないとも思う。

しかし、この寂しさは何なのだろうか?娘が受験を終えてからの1ヶ月は確かによく会っていたし、各種の生活技術を含めて沢山の話をした。そして、先週の土曜日からの3日間もひたすらに引越作業を手伝い、更に色々なことを話した。

こうした引越に向けての期間〜実際の引越作業は、新生活を始める彼らを送り出すという意味で「僕が父親としてやりたかったこと」のある種クライマックスだったのかも知れない。

引越を終えていつもの自宅に帰ってきて、基本的には一人で過ごすいつもの日常が戻ってくると、自分で思っていたよりもずっと大きな寂しさがやって来たことに自分でも驚いている。

最近、こちらのブログを通じて知った別の方のブログ記事に「粉雪は世代を超えて」というものがあった。レミオロメンの名曲が今の若者にも愛されていることの記述なのだけど、ブログ主の方の文章力なのか?それともレミオロメンの楽曲の力によるものなのか?なんだか心に残る記事だった。

僕自身、レミオロメンの楽曲は「僕の誕生日が3月9日」ということもあってなのか、嫌いではないがそこまで好きな訳でもないから、そちらのブログ主の方の文章に惹かれたのだろうと思う。

ここにリンクを張ったりするのはあまりにおこがましいことなので、この程度の記述に留めるのだけど、興味のある方は是非探してみて欲しい。

さて、話を僕の生活に戻すのだけど、今朝から「何なんだよ?この寂しさは?」…なんてことを考えながら、本当にいつもの生活に自分を戻すような朝のルーチンワークをこなしていた。そんな時に頭に浮かんだのが「ここにあなたがいないことじゃなくて、ここにあなたがいないと思うことが寂しい……」というワードだった。

細かに僕の生活に置き換えると…

娘はここにいない。これはいつもの生活と変わらないこと。そもそも、僕と娘は同居していない。しかし、近くに娘がいなくなり、すぐに会える環境ではなくなった。そこに「淋しさ」みたいなものを感じることが「寂しい」のだ…。

前述の「ここにあなたが…」というワードは僕が高校3年生の頃に流行した「大事MANブラザーズバンド」のヒット曲の歌詞だ。

31年前に大学受験を終えて、今の娘と同じような「高校生でも大学生でもない時期」に、幼稚な僕は「大学生になればカラオケに行くこともあるだろう…」とか、「受験勉強している時には歌謡曲なんて聴かなかったからちょっと聴いておくか…」みたいなことを考えて、この楽曲のシングルcdをレンタル屋で借りてきて自室で聴いたことを覚えている。相当に恥ずかしい思い出である。

しかし、この曲のヒットシーンから31年も経った2023年の春に再び「負けないこと、逃げ出さないこと」が一番大事だということを思い出すとは思ってもみなかった。思い出したのはAメロの歌詞ではなくて、Bメロの一部なのだけど…。

「大事MANは世代を超える」と言ってみたかったのだけど、よくよく考えると「世代は超えておらず」、単に僕の中での時代を超えて今更のように思い出された曲なだけだった。

しかし、「いないと思うことが寂しい」は僕にとっては真理なので良しとしておく。