山葵を漬けまくる

僕にとっての春の味覚の代表格が山葵漬である。

日本には四季折々に美味しいものが沢山あるし、春になると、それは節分の頃から4月の下旬くらいまでの長い期間ではあるのだけど、それはそれは美味しいものに溢れている。

パッと思いつくものを挙げると……。槍烏賊、菜の花や芹などのアクの強い野菜…というか野草のようなやつ。これらにはタラの芽とかコシアブラも含められる。そして、食材としての旬真っ只中という訳では無いが蛤や名残の牡蠣。美味いもの…と言うべきか、僕の好物と言うべきか分からぬが、とにかく美味しいものが多い。

…まあ、これらは僕が食いしん坊だから、何も春に限らずに、時期を選んで市場に行けば四季折々の美味いものに出会えることは春に限ったことではなかった。

そんな中で話題を「山葵漬」に戻すと、やはりこの時期に山葵漬を食べることは僕にとってとても重要な年中行事のひとつなのだ。

僕の実家には本当にささやかではあるが、山葵畑があった。「山葵畑」なんて言うのもおこがましいくらいのもので、山間の一角の沢ににちょっとだけ山葵を育てているスペースがあった…というだけのことだ。

気温の低い山間の沢に半ば自生させていたような山葵なのだから、そいつらが花を咲かせるのは4月の上昇のことだったように記憶している。

そんな山葵が花を咲かせて新たな葉を茂らせる頃になるとお祖母ちゃんやら母親が山葵の醤油漬けを作っていた。当時のお祖母ちゃんの言い方に倣うならば「山葵をこしらえる」とか「山葵をタマガす」という行為だ。

こうして「こしらえられた」山葵漬を食べることを春の味覚の一つとして覚えた僕にとっては、やはり山葵漬というものは春を代表する思い出の味なのである。

 

さて、この数日は子供たちの引越作業に明け暮れていた。引越作業における棟梁はやはり僕であり、作業進行の要が僕だったと思っているのだけど、これを大きくサポートしてくれたのが舎弟のような友人である。

この友人とその御家族による「我が子へのサポート具合」には感謝しても感謝しきれないくらいの恩を受けている。何分、お金持ちの一家なのだから、金銭的な御奉公を試みたところで僕が大きなお返しを出来るものではない。

「ならば!」という気持ちで僕は山葵漬を心置きなく賞味いただく、それだけの山葵漬をこの引越作業のタイミングで舎弟に渡したいと考えていた。

それを実行するために、先週は週に3度も朝の出勤前に花山葵を入手するために農協に足を運んだのだがタイミングが悪かったようで花山葵は一度も売られていなかった。

引越作業で舎弟に会うタイミング、そして息子と娘とも一緒に過ごすタイミングで「視覚や嗅覚がダメージを喰らうほどに辛味の効いた山葵漬」を持参したかったのだけど、これは叶わなかった。

 

そんな残念な気持ちで引越作業を終えて、僕の住む町に帰ってくると、なんと山葵が普通に売られているではないか!

ちょっとの量の1把で539円!まだ高価だが、これを買うことを躊躇していては、今年のどっさり山葵漬を逃すかも知れん!そんな懸念から、引越作業から帰宅途中の僕はとにかく大量に花山葵を買い込んで帰宅した。

自宅に戻った僕は引越作業の疲れに苛まれながらも、それこそ「山葵を漬け終えるまでが引越」とばかりに、山葵を漬けまくった。…もとい、山葵を「こしらえまくって」「タマガしまくった」のだった。

この成果物の出来については、また改めて別稿に記したいと思うが、これで僕のこの春にやっておく仕事はその大半を終えたように思う。

単純に季節やら旬だから…という理由で突き動かされる作業もあるが、その背景にある僕自身の経験、そして気持ちにより「この時期にやらねばならん」という作業もある。

この季節にやっておくべきことをこなした充実感とともに、この春が山場を超えたようにも感じられ、なんだか寂しいような気持ちで春の夜を過ごしている。