「いもむしがあらわれた」事の続報

昨日の朝の出来事だが、僕のウチのベランダ菜園のプランターに「いもむしがあらわれた」ことを、このブログにも書いた。

出現した「いもむし」は即座にベランダから放り出したのだけど、その前に一枚だけその侵入者の写真を撮っておいた。…はずだったのだが、何かのミスをしたのか写真は保存されていなかった。そんな訳で今となってはその侵入者の面構えを見ることも出来ない。

 

僕のウチの対象プランターはゲソゲソの土に牛糞堆肥やら油粕を混ぜ込んでからそんなに時は経っていないものだった。そこで生まれる疑問は「いつの間に奴はプランターに侵入したのか?」ということだった。

クリーム色のコロッとした奴をベランダから放り投げてから、朝の支度をしている間も僕はずっとそんな疑問について考えていた。

あの痩せた土に去年の秋のうちにコガネムシが卵を産み付けていたのだろうか?ならばその幼虫は複数いるだろうけど、僕が見つけたのはわずか一匹だけだった。一度に沢山の卵を産むコガネムシの幼虫が一匹だけプランターの痩せた土中で生きながらえていた…なんてことはあるのだろうか?

その可能性を否定するのなら、ついこの間混ぜたばかりの牛糞堆肥の中に潜んでいたのではないだろうか?そして、堆肥の中で成長を続ける幼虫であるならば、そいつはコガネムシではなくカブトムシの幼虫だったのでないか?

農協で買ってきた堆肥はどこか近くの牧場の牛糞堆肥であるから、去年の夏にその堆肥に産み付けられたカブトムシの卵がなんとか冬を越して(あるいは生まれて間もない小さな幼虫がなんとか冬を越して)、農協の商品である堆肥として袋詰された後に紆余曲折を経て、僕のベランダにやって来たのではないだろうか?

 

昨日の僕はそんなことを仕事の合間に考えていたのだが、「堆肥のカブトムシ説」が正しかったように思えてならなかった。

仕事の合間に僕の脳裏を掠めたのは「毛深いカブトムシのメスが交尾の末に牛糞堆肥の元となるやつに瀕死の思いで潜り込みそこに子孫を残す。残された子孫である卵は一族存亡の期待を背負いなんとか幼虫にまで成長したのだろう…」そんなカブトムシ一家の一家存亡への熱い思いを想像ばかりだった。

そんなことを考えていると、確認も不十分なうちに「ベランダガーデンから投げ捨てられた何かの幼虫のこと」を不憫に思えてならなかった。

 

僕のウチにやって来た幼虫がコガネムシ野ものだったのかカブトムシのものだったのか?それは少し注意すれば分かったはずだ。

両者の頭には色の大きな違いがある。そして、幼虫の身体能力としてはコガネムシの方が圧倒的に上で、コガネムシの幼虫は逞しく機敏に土中に潜り込むのに対し、カブトムシのそれは本当にコロッと転がっているばかりだ。

僕が昨日の朝に出会ったやつは、ほじり返された後にもすぐに土に潜ることもなく「ガンジーのようにほぼ無抵抗」だった。

写真が残っていれば、そうしたことの写真判定も可能だったのだろうけど、それも叶わない。本当に今更なことだけど「僕は土中のいもむしに対して感情的になり過ぎ」すぐにそいつを抹殺したのだけど、考えるれば考える程、それが軽率な行動だったように思えた。

昨日の昼間も「ベランダに現れた虫」のことなど考えている暇もないくらいに忙しかったのだけど、そんなことが気になって仕方のない一日だった。

続く。