特に細かな時期は決めていないのだが、今年も辣韮を漬けることにした。
多く作りすぎて翌年まで残したりしないように量も程々にして、パリッと漬けあがったら美味しいうちに人にもあげたりして食べきってしまおう!と考えながら作った去年の辣韮は、作る時の思いとはうらはらにまだ残っている。
これは結構美味しく出来ていたのだが、気が付いたパリッとしない歯応えのよくない段階にまで熟成されていた。熟成の進んだ辣韮と謂うものは旨味も甘みもクドい。サラッとポリポリ食べることなど到底出来ないような不思議な食物へと変化しているのだ。
……って、これと同じようなことを去年も考えてこのブログにそのことを書き留め、反省を全く活かすことが出来ないまま今年を迎えて、今年も同じようなことを繰り返す…のだ。人というのは成長なく、決まったようなことを反芻するものなのだ。
さて、辣韮を漬ける時期を決めている訳では無いし、年によっては漬けないこともあるのだが、今年は少し早めに辣韮と漬けることにした。
これは気持ちの問題ではなく、単にスーパーで安売りの辣韮を見つけたのが今の時期だったというだけのことだ。
1,280円の辣韮が500円。こういう安売り品を見つけてしまうと「買わないと損」と感じてしまうほど、僕はセコく貧乏性なのだ。自らを浅ましいと思いながらも、そうした安売り品に惹かれることを止めることが出来ない。
天候にも恵まれたゴールデンウィークは最終日になって雨が振り始めた。辣韮の仕込みをしていると「2019年にアニメのどろろを見ながら漬けていたこと」を思い出す。
僕はリアルタイムで「どろろ」を見た世代ではなく手塚ファンとして大人になってから、それもYou Tubeとかネット動画環境が整備されてからこのアニメを見た。
昭和40年代くらいのもの、というか1970年代くらいのものというか、そのくらいの時期のものには合理性を追求しながらも一定水準のものづくりの技術が守られているような気がする。そこに「独特の味」を感じるのだが、これは「どろろの歌」のサウンド作りにも感じ取れることだ。
おどけたようで辛辣なことを歌うこの曲は僕にとっての「辣韮仕込みのテーマ曲」になっているし、ベランダの外から聞こえてくる雨音を聞きながらの辣韮作りもまた楽しいものである。