サムネイル画像は2回続けて同じようなもの。来る日も来る日も食物のことばかり書いているが、これも僕の食い意地によるものだ。日々の生活の中では食物以外のことも勿論考えているが、ここに「毒にも薬にもならない感じ」のことを書こうと思うとやはり食物のことが多くなるのである。
さて、本題。
ラーメンという食物はその人気のとおり、僕もとても好きだ。何度かこのブログにもラーメンのことを書いている。
ただ、本当にラーメンを好きな人は食べ歩きのようなことをよくしているし、美味いラーメン情報にも詳しい。そうした御仁と比べると、僕は町のラーメン情報もそんなに知らないし、食べる頻度も多い方ではないかも知れない。
人のラーメン接触頻度について考えると、「ラーメン好き」と称される人が大幅にその数値を上げているのだろうから、そうでもないけど「僕のようにラーメンは好きです…というレベル」の層は週に一度ないし二週に一度…くらいなのではないかと思う。これは本当に感覚的な頻度で何も根拠はないのだが…。
さて、数日前のことだが、僕はラーメンを作った。麺とスープがセットになって袋に入っているインスタントラーメンではない。スープと具材を自作して、乾麺の中華蕎麦をゆがいて調理したものだから「半調理」というのが正しいのかも知らない。
舎弟が遊びに来ていた際に、色々と料理に使おうと思っていた昆布と鰹の出汁に随分前に作っていた焼豚(煮豚)の煮汁を合わせたものだけど、これが随分と美味しかった。
出汁を取るのは何の手間でもない。粉末の化学調味料の出汁を使えば本当に手間などなく安価に出来るから、それと比べると材料を贅沢に使う思い切りと僅かの手間をかければ簡単に出来る出汁である。
そこに合わせる煮豚もそれなりの費用と手間をかけたものだから、原価でいうとそんなに安い食べ物ではないのだろう。ちゃんと計算はしていないが、全ての食材費用で300〜400円くらいだろうか?「このラーメンを外で食べるならいくら払うか?」と問われたなら、僕は700円と答えるように思う。
ならば、差し引き300円くらいは得をしたのか?と考えると、気が乗った時の道楽でなくてはこれを作りたいとも思わないから、このラーメンが安いのか高いのかはよく分からない。
「気が乗った時の道楽」ならば、趣味に金を払って楽しい時間を費やし、そのうえ後で美味しいものを食べるられる…と捉えると相当に安価に美味しいラーメンを楽しんだことになるのだろう。
ラーメン作りに限らず、炊事をすることにおいて「コスパとタイパ」を論じられることは本当に多くなった。ただ、この理論においては「自分で美味しいものを作れるようになる喜び」は無視されていて、炊事に費やす時間は完全に無駄なものとして扱われている。
人が生活するうえで「自分の食べたいものを自分で作れるようになる」ということは、生活の中での大きな喜びだろうと僕は思っているので、「タイパ」という概念には賛同できないことが多い。