datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

続 不味いものをどうにかする

貧乏精神が抜けない僕は(と言っても、実際大した金を持っていないのだから「精神」というのもおこがましいが…)、今回の「目を引く美味そうな魚の買い物」で色々と失敗した。今日もそんなことを記す。

先日の静岡での買物の際に、冷凍の蛸の切身も買っていた。500円で結構な量が入っていたので、そのグラム単価に惹かれて罠にかかったような有様だ。

この蛸がまた不味かった。冷凍された蛸を工場でスライスされたもののように見えるのだけど、蛸の旨味は全く抜けきっているような代物だった。薄切りにして蛸で出汁を取った後の出汁殻の蛸で…などというものが存在するのか知らないが、まさにそんな感じ。

間もなく梅雨入りするのだろうけど、その直前に「夏であることのアリバイ作りのようにやたらに暑い日」が続いていた。こんな時には目にも涼しい酢の物を食べたいと思い久しぶりに蛸と胡瓜と新生姜で酢の物を作ったのだけど、どうにも美味くない。

調理過程で味見として食べてみている段階で蛸が美味くない…というよりも「この蛸は不味い!」と断言出来るような状態だった。

胡瓜と生姜は間違いなく美味い。そして調味についても特に問題はない。僕の味覚は間違いなく「蛸の旨味と歯応え」を求めていて、それがこの料理に加われば、暑くて汗だくになった一日も綺麗さっぱり吹き飛んだことだろう。

キシキシ?いやギシギシするような、まったく心地の良くない蛸の歯応え。そして噛み締めてもそこからの旨味は出てこず、酢と砂糖と塩、そして胡瓜と生姜からの香りが口中に広がるばかりで、真打ちである蛸は全く姿を現さないような期待外れの酢の物だった。

こうなることは事前に大体分かっていたので、今回は酢の物に白胡麻も合わせた。文字通り「胡麻化してやろう」のいう魂胆によるものなのだけど、それでもこの旨味のなさは「万能にものを美味く感じさせる胡麻の力」を持ってしても胡麻化せるものではなかった。

「これはメチャ美味いはずだ!」という食い意地に突き動かされて作った酢の物はまだどっさり残っている。これも僕の貧乏精神がもたらしたものなのだけど、これを捨てたりすることなくどうにか美味しく食べるのも貧乏精神のなせる技なのだ…そんな天命を受けたような気持ちになって、こいつのその事も付き合いたい