datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

胡瓜を漬けまくって、梅の世話をする夜

漬物に「日和」などないと書いておいて、その舌の根も乾かぬうちにまた漬物のことを書く。

今日は昼間に青柴漬けを漬物器から上げたので、早速次の青柴漬けを漬け込む。昨日買ってきた胡瓜が少しでも新鮮なうちに加工しておきたいからだ。

安価に買い求めた胡瓜をざっと洗い、種の部分は匙を使って取り除く。夏になってくると胡瓜も大きく育ったものが売り場に並ぶようになるが、おおきな胡瓜は種をしっかりと抱えている。この部分は歯ごたえがないどころか変に水分を含んでいて本当に邪魔なのだが、取り除いてしまえばいい。

歯応え抜群の四葉胡瓜とて、やはり生き物なのだから子孫を残すために種を蓄える。その本能的なメカニズムを疎ましく思ったところで仕方ない。

少しばかり面倒ではあるが、種を匙でこさぎ取ってしまえばいいだけだ。こうすることで歯応えの心地よい美味い漬物が出来る。ちょっとした手間を惜しむと結局、出来上がりの質に如実に返ってくるのだから…。

今日はとにかく沢山の胡瓜を用意した。このところのベランダ菜園の紫蘇の成長は凄まじく、1日に平均すると10枚採り続けてもその成長に追いつかない。先週は薬味としてではなく、全く菜っ葉のように紫蘇を料理に使いまくったのだけど、好物の紫蘇とはいえ、やはり飽きてきたのでこれらを存分に活躍させられる「青柴漬け」に活用したいと思ってのこと。

育ちまくる紫蘇の葉に呼応するために用意した胡瓜は、ちゃんと数えてはいないが多分25本くらい。これらを刻んで塩を揉み込み、漬物器でグイグイとプレスしていく。

そこまで多量ならば、桶を使ってもいいようにも思うのだけど、青柴漬けは2〜3週間の漬け込みのあと、それと同期間の2〜3週間の熟成がの範囲で食べるのが美味しいように思っているので、桶を使う程の量は不適切なのではないかと感じている。夏の漬物で樽を稼働させるのは、茄子と赤紫蘇を主としたモノホンの柴漬けを漬ける時にしたい。

 

さて、夜になってウイスキーを飲みながら胡瓜を仕込んでいるのだけど(そしてその傍らでこのブログを書いているのだけど…)、今夜は先日塩漬けにした梅の世話もした。

「今年は梅が高い」というようなネット記事も見たが、僕が買ってきた梅も例年と比べるとずいぶん高かった。

ちゃんとした価格計算など例年は行わず、程度の良い梅が半額で売られているようなのをその場で帰るだけ買ってきて梅干しにしている。感覚的なものだけど、これまでの梅の価格よりも倍くらいの値段で今年は梅を仕込んでいるように思う。4キロで8,000円くらい。梅の球数を数えると88球だったから、今年のものは1つあたり100円くらいの梅干しだ。ここに塩とか赤紫蘇も加えることを加味しての価格。僕の手間賃は加えない。

塩をまぶしてある程度、水が上がってきた梅を今夜は瓶に移した。表面積の広いホーローの器の方が本当に初期の漬け込みには適しているが、このあとは梅から滲み出た塩梅果汁に浸していたい。そうなると瓶のほうが都合がいいのだ。

今年の88球は1つの便に収まる量だ。例年と比べると少ない量だけど、梅の値段の変化によって漬け込む量が変わる…というのも世相を反映してきて面白いものだと思う。

一球100円の今年の梅干し。これが来年は少しでも安くに作られればいいなとも思う。そして、「そもそもの一球100円論」については、これは僕の趣味であり、材料を買ってきて、塩漬けにして、様子を見ながら赤紫蘇を加えて、そして夏の盛りに干して、それから当面熟成させながらその味を何年にも渡った楽しむ…という長期スパンのホビーなのだ。

「梅干しを作る」という作業における趣味の愉しさを鑑みると、実質的にはこの梅干しはタダのようなものだと僕は思っている。