datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

デジタルデトックス

この間の日曜日の出来事だが、末娘の誕生日祝いとか過去に在籍していたバンドのライブなどもあり、少し離れた町まで出掛けたのだけど、その際に「携帯電話の類一切」を自宅に置き忘れた。

それに気がついたのは電車に乗り込み、末娘とその日の昼飯の予定についてラインで連絡をとろうとした時のことだ。

仕事における緊急連絡がけたたましく電話を鳴らすかも…という不安が一番大きかったのだが、携帯電話を持たずに出掛けるなんてどれだけ久しぶりのことか!まあ、これは僕が意図した行為でもなく「単に持ち出すことを忘れた…」というだけのことなのだけど…。

そんな「携帯電話を一切持たない生活」というものも、いざ体験してみると実に気持ちの良いものだった。仕事上の不安はあるので「心底とか掛け値なしに…」という訳ではないが、この日は昼前から酒を飲んでいたのでそんな不安はすぐにブッ飛んだ。まあ、これは酒による麻酔のような効果で仕事の優先順位を全く無視出来るようになっただけだから「形態を持っていたかどうか?」は本質的には関係ないのだが…。

何かあればすぐに携帯で写真を撮る。そして、すぐにではないにしても「そんな自分の日常を何らかの形で誰かに連絡する」…そんな行為は実践したくとも出来ない。

逆に言うと「携帯に頼ったそんなことを出来ない」のだから、目の前に美味そうな食物があっても写真を撮ることなどなく、その食物と真剣に向き合うことの他にはすることなどないし、その間に人から連絡が来ることもない。

インプットにしてもアウトプットにしても、普段の生活でどれだけ携帯電話が入り込んできていて、例えば友達と一緒に過ごしているのにラインのメッセージがその世界に割り込んでくることなんて当たり前のように捉えてしまっている。友達との大切な時間にズカズカと侵入されているのに!あるいは友達と一緒に美味しいものを楽しんでいるのに、それを写真に撮る。その写真は別の友達に向けたメッセージのだめのものであり、目の前の友達や目の前の御馳走は他の人間とのコミュニケーションのために軽んじられるのだ。

そんなことをすることもなく、前日の日曜日は末娘としっかりと向き合い、バンドのライブに集中し、そして仲間との打ち上げに全神経を集中させた。

携帯を持たないだけ送ることのできる濃厚な時間。そして、日々の生活が携帯に依存しすぎてきてあらゆる行動が希薄なものに格下げされている事を恐ろしく感じた。