datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

とうもろこし

子供の頃は割とよく食べていたように思う「とうもろこし」だが、この数年は年に1本か2本食べている。もしかしたら「全く食べない年」というのもあるように思うし、年に3本食べたことなど無いように思うから、平均すると1年に1本食べるくらいなのだろう。

今日は1本のとうもろこしを食べた。朝に2/3くらい食べて帰宅してからは残りのものを食べたが、今日のものは全く美味しくなかった。

実は1週間前になぜかとうもろこしを食べたくなり、スーパーで「朝採り」と書かれたものを2本買ってきていた。買ったとうもろこしは帰宅すると特に食べたくもなくなってしまったのだが、「とうもろこしと枝豆はとにかく鮮度が命!」と知っていたので、買ってきた翌日に1本のとうもろこしを食べた。

みずみずしくて甘くて美味しいものだったのだが、その1本で充分に満足してしまい残りの1本は冷蔵庫に放ったらかしにされていた。これを今朝レンジで蒸したのだ。

夜、ネット記事を見ていると「おいしいとうもろこしの選び方」なるものを見つけた。今年のとうもろこしは既に満足規定量を超えているので、全く食べたいと思わないのだが、記事を見てみると色々なことが書かれていた。

しかし、ものの選び方や調理方法よりもとにかく新鮮であること。なんなら「蒸したとうもろこしを食べるのは刺身と同じくらい鮮度が重要」と僕は思う。

今朝、特に美味くもないとうもろこしを食べながら、この不味さは子供の頃にも食べたことがある味だ…と思い出した。その時のとうもろこしもきっと収穫されてから時間が経ったものだったのだろう。

「魚は生臭いから好きではない」というやつは、生臭くて不味い魚を食べたという可哀想な経験があるからそんな感情を抱くのだ。僕も1週間前のみずみずしくて甘いとうもろこしを食べていなかったら、今年からやたらにとうもろこしを嫌いになっていたに違いない。

美味しいものを感知する味覚を培うには、不味いものには出会わないようにして本当に美味しいものを知らねばならない…と考えさせられる味だった。