旅に出掛けた8日間は毎日毎日、その瞬間を楽しむことに全力を尽くしていたから、旅の序盤のことは既に記憶の中では割と遠いところに行っていた。
昨日、沼津に帰宅して夕食の支度をしながら旅の荷物を片付けていたら、旅に持って出たチーズが一片だけ出てきた。これは旅に持っていこうと沼津のスーパーで買っておいたもの。
「アボカドわさび醤油風味」なるものだが、本当にアボカドわさび醤油の味がしたことがとても可笑しかった。原材料はちゃんと見ていないが、アボカド味もわさび味も全て人工的に作られたものに違いない。チーズを食べているのにアボカドを食べている気がするのだ。「俺たちは一体何を食べているのだろう??そして、この食物は何者なんだ?」と旅先でガキどもと笑いながら食べた。
これが一片残っていたことにも気がついていなかったが、荷物の中からこいつを見付けた瞬間、鈍行列車での食事のことがとても懐かしく思い出された。まだ一週間前のことなのに…。
8月4日に出立したのだが、その前夜、僕は酒を飲みながら弁当を作っていた。8月4日はほぼ一日全てが列車での移動になると思っていたからだ。
駅の売店で手軽に買うことの出来る弁当はコンビニ弁当と変わりなく(何ならコンビニのものよりも高価で不味く)、情緒やら風情とは程遠い「工業製品のエサ」みたいなものばかりだ。それを食べるならば、父親の手製弁当のほうが何倍も旅が楽しくなるだろうと考えてのこと。
稲荷寿司に玉子焼き。稲荷寿司はウチに沢山残っていたゆかりを使ったものと紅生姜を加えた牛飯風のものの二種。そして鮭の塩焼きと鰻の蒲焼。僕なりに考えた御馳走弁当を車中で食べながら西に向かう。冷蔵庫に残されていたオクラも塩茹でにして持っていったのだった。勿論、スキットルボトルに入れたウイスキーも一緒に…。
捨てることの出来るベコベコ容器にピッチリと詰め込んだ弁当は新聞紙で包んだ。「昭和の風習」のように伝えられる「新聞紙包み弁当」だが、僕は令和の今も実践するし、僕が子供の頃はおばあちゃんが作ってくれた弁当を皆で持って新幹線に乗って大阪の親戚のウチに遊びに行ったこともある。その時はおばあちゃんなりに「よそ行き仕様」にしたのか、新聞紙ではなくて山口に唯一あった百貨店「ちまきや」の包み紙だったことを覚えている。
娘は東京の下宿を朝5時に出立し、僕は8時半頃に彼女と合流した。そしてその1時間後に息子が静岡から合流。そして初日の目的地の鳥取に到着するのは夜の10時半頃。
15時間くらいの列車旅では、僕が沢山のおやつ(前述のチーズをはじめとしたツマミ?)を持って行ったし、途中の乗り継ぎ余り時間の長いところでは駅に併設されたスーパーで惣菜を買ったりもした。
長旅でなくとも、手製の弁当を皆で食べるのは本当に楽しい。そして、これは工業製品だが魚肉ソーセージやらナッツを齧りながら車中で酒を飲むのも楽しい。
今回僕は御馳走弁当を用意したが、これが数段ランクの落ちる粗末なものであったとしても、それにはそれなりの味わいがあったのではないかと思う、手前味噌だけど…。
旅における食事の楽しさは、訪れた地の味に接することだ。ただ、移動が続く時には簡易性も重要になる。僕が父子で手製の弁当を食べる機会はこの先何度あるのだろう?稲荷寿司を美味しそうに頬張るガキどもを見て、その傍らでグイとウイスキーを飲みながら、こうした機会は大切にしたいものだ…と強く感じた。