都市部から離れて田舎に向かって行く列車に乗ると俄然、旅気分も盛り上がる。沼津に住む僕は都会暮らしではないのだけど、やはり日常生活から離れて行くことにワクワクするのだろう。
住宅街の中にたまに見える畑や田圃のことは田園風景と呼べない。そして街と街の間にある畑も畑であるには間違いないが、僕の心をリラックスさせてくれるものではない。
基本的に太平洋側を走る列車は結構な田舎町を通ったりもするがやはり「都会の路線」である。裏日本(という呼称は失礼だ!というきらいもあるが僕はこの呼び方が好きだ。卑下するような呼び方に思う人もいるだろうけど、そこには落ち着いた魅力があると思っているから…)に向かう山間部を走る列車や裏日本を走る列車こそが、田舎を走る列車としてその車窓から見える景色を含めて僕をゆったりとさせてくれる。根が田舎者なのだから、やはり田舎が好きなのだ。
旅の3日目は朝早く起きて06:30頃に鳥取を発つ列車に乗った。これを逃すと山口の実家への到着は夜20:30頃になる。これに乗るとなんとか17:30頃に到着出来るのだ。
山陰線というのは便の数が少ない。そしてやって来た列車も2両とかひどいと1両だったりするから、都会の列車よりも混んでいたりする。皆がその列車に乗るからね。多くの便を走らせても採算が取れないのだから仕方ないのだけど、列車がノロいし乗り継ぎも良くないので「距離を稼ぐ旅」は出来ない。
朝、鳥取を出た僕たちは昼過ぎに島根県の浜田駅に着いた。浜田駅前で昼御飯を食べようと探したのだが、駅前にはほとんど飲食店がなく、駅周辺をうろうろした後に、駅のすぐ近くでやっていた食堂に入った。
「親戚のおばあちゃんのうちにアポ無しで訪問したら、ありあわせのもので支度してくれた昼食」そんなメシだった。勿論、美味いわけなどない。そして、客への対応も特に何も無い。もとより「美味さ」を期待して入った店ではないから、これはこれで味があるものだ。多くの飲食店が立ち並ぶ都会ではすぐに見捨てられるのだろう。ここは立地条件だけでなんとか生き延びている絶滅危惧種のような食堂だった。
浜田で70分の待ち時間を駅近くの散策と絶滅食堂での食事で過ごした後は益田で2時間の待ち時間。益田は浜田の数段上手の田舎で、駅前には喫茶店も飲食店もコンビニもほとんどないような状態。金を払って涼めるところというのが存在しない田舎だった。
結果、エアコンの効いたバスの待合室で多くの時間を過ごして山口行きのヂーゼルカーに乗り込んだ。
実家に帰ってからは両親から「益田は文化施設など見るところの多い町だ」ということを聞いた。益田に限らず、車の移動が主体となる田舎町では買い物するところや観光で訪れる先は町の郊外にあることが多い。
去年の夏の旅では青森の下北半島を訪れたが、大湊丿ホテルをベースにして、その後はレンタカーを借りて大間屋恐山に出掛けた。列車を使う旅だと地方に行けば行くほど車を合わせて使わないとその町のいろいろなものを見ることが難しい。
2時間の待ち時間、僕らは駅周辺でダラダラと過ごしたが、今になって「駅についてすぐにレンタカーを借りれば良かったのか?」とも思う。
なにが正解だったのか分からないけど、田舎を知るには列車だけではなかなか難しい…ということだけはよく分かる山陰線の旅だった。