datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

【夏旅】田舎の御馳走

旅に出立したのは8/4(日)のこと。ノロノロの鈍行列車を楽しみ、そして途中の鳥取を存分に楽しみ、群を抜いてノロノロの山陰線を楽しむ…という「寄り道」と呼ぶにはあまりにも途中を楽しむ→むしろ、途中のほうがメインではないのか?と思うほどの旅程を経て、僕たち父子3人は8/6(火)の夕方に山口の実家に帰った。

ヂーゼルカーの単線しか走っていない「ド田舎の実家」に着いたのは17:30頃だったのだけど、少し前のこちらのブログにも記したとおり、山口の日没時間にまではまだまだ時間もあり明るかったので、帰宅してからすぐにお墓参りに出掛けた。

僕にとっては19時あたりは既に周囲も暗くなり始めていてそろそろ夕食だ!…という時間なのだけど、山口の山村の陽はまだ普通に生活できるくらいに明るく、お墓参りに出掛けて実家に帰ってきてからもまだまだ普通に野良仕事が出来るような明るさだった。

「こんなに明るいと、夏休みの子供たちも平気で6時過ぎても遊ぶよね…」というのは東京に住む娘の弁…。「そうだよね…」と相槌を打ちつつも、僕は「この時差(というか昼の長さ)に翻弄されてしまって、夜まで遊ぶ気満々になるのは子供たちだけじゃないのだよ。あんたの今年50歳になった父親も既に遊ぶ気満々なのだけどね…」なんて思っていたりもした。

さて、そんな風に山口初日の夕方(?)を過ごしていたのだが、実家での夕食は20:30頃からだった。僕の実家の夕食時間が夏期は普段からこのくらいの時間であることは僕も知っていた。

母によると「日が出とるうちは、草抜きやらなんやら仕事をしとると、結局このくらいの時間に夕食を食べるようになるんよ…」とのことだった。このことも僕は理解していたが、東京での山口よりも早くに暗くなる生活に慣れているガキどもには少しばかり驚きだったようだ。…って言っても、彼からもバイトを終えてから夜23時頃に夕食を摂るのも普通のことなので、それ自体を驚くような夕食時間でもないのだけど…。

帰宅初日の夕食のメインディッシュはコロッケだった。なんということもない普通のコロッケだ。

これは僕が母親にリクエストしたものである。この何年も僕は手作りの家庭料理としてのコロッケを食べたことがなかった。自分で作ればいいだろ!僕もそんなふうにも思う。

しかし、コロッケを作る工程は一つ一つは簡単なものではあるのだけど、芋を蒸して挽肉やら玉ねぎの具材を炒めて、そいつを潰したジャガイモと混ぜ合わせて、更には丸めたそいつに小麦粉、玉子、パン粉をまぶす。そして、それからそいつを油で揚げる…と単純ではあるけど、他の料理ならば3品くらい作れるような面倒くさい作業がある。普通の人なら分かるような当たり前の作業なのだろうけど…。

そんな工程に時間を割くことが面倒になる反面、素材の費用自体は安価であるコロッケは「大量生産する惣菜屋とか冷凍食品などの工業製品」にはうってつけの食品だったのだろう。本当に安いものなら20円くらい、割とちゃんとした立派なものでも150円も出せばコロッケを食べることが出来る。

そんな訳で、僕はもう何年もコロッケを自作することなどなく「コロッケこそ買ってくるもの」というスタンスで生活を続けてきていた。

しかし、この数年思うのは「ウチで作るフライの王様は豚カツでも海老フライでもない。それらは費用さえ惜しまなければ、比較的簡単に作ることが出来るではないか。しかし、コロッケはそんな訳にいかない…。なんと言っても面倒くさい…。しかし、家庭のコロッケにはスーパーで買ってくるものを超越する味わいがあるのだなあ…」と懐古主義全開のおっさん丸出しのようなことを感じ続けていた。

 

僕の父母、そして僕の息子娘の5人で一緒に食べる田舎の母親手作りのコロッケ。僕の記憶にあるコロッケと比べると肉の含有量も少なく、なんだか市販のコロッケに寄せたような味だと思いもしたが、やはり親族みんなで食べるコロッケは格別であった。

雑多な食卓でのセンスも何も無い食器を用いた田舎料理。これが僕の実家の食卓であり、それに対して快適に感じないことも多いのだけど、このスタイルに慣れきってしまった老齢の両親には何を言っても変わることはないのだろう。

思うことなど沢山あるが、僕と両親は既に別の生活を始めて何年も経つ「生活環境においては割と他人」なのだ。その生活スタイルに口を挟むのも無粋なこと…というよりも、不干渉できることが互いを尊重する生き方なのだろうとも考えた。

しかし、僕のリクエストを受け入れてくれて、彼女なりの別の御馳走も作りたかったであろう母親が、息子と孫の帰宅の夕食にコロッケを出してくれたことには本当に感謝している。