今日は中秋の名月とのことだ。
小さな頃に「今夜はお月見の日だから…」とおばあちゃんが団子などを支度していたことがあったのも朧気ながら覚えているが、特に改まって月見をしたことはそんなにない。
大人になってから、何か理由をつけては酒を飲んだり遊んだりするための「ある種どうでもいいきっかけ」として月を見ることも増えた。こういう人はSNSが普及してから更に多くなったはずだ。
特に雅やかなことにも季節風情にも本質的には興味も持っていないのに、SNS上で知った情報に乗って承認欲求を満たすためだけに月を見る(…というか、月を見ることよりも写真を撮ってSNSにあげるだけの)人も多い。「人も」というよりも、そういう人ばかりでないかと思う。
大学生の頃、花見のようなノリで「月見宴会」を開いたことがある。9月の中旬は夜になっても暑いことが多く、年によっては気持ちの良い夜風に吹かれることもあったが、汗だくになって涼しい居酒屋に駆け込むことが多かった。
これは近年になり更に顕著になっていて、9月の中旬というのは夜になってもエアコンの効いていない屋外で過ごすのは嫌な気候である。なんとか季節行事を楽しみたいと思って、ベランダに出て月を見ながら過ごしたりもするのだが、気持ちの良い夜風が吹くことも滅多になく実は不快な夜だったりする。
芋名月の名のように、収穫された芋とともに楽しむにもまだ夏すぎる。収穫物も気候も時期的にズレているのだから、僕は「後の名月」を月見の時期として捉えることにする。
さて、不快な暑い夜の「中秋の名月」だが、これに便乗した「月見◯◯」への違和感が拭えない。昨日、こちらにも記した月見バーガーだけでなく、牛丼屋各店でも「月見牛丼」みたいなやつのTVCMをやっていた。
牛丼に玉子を落とす…なんて四季を問わずに当たり前の事だ。何か多少の手を加えたものであっても、基本的には販促の手立てとして大した商品でもないものを「月見」という宣伝文句で売りつけようという賤しい行為だ。
この連休中にテレビを見ていると「こうした賤しいCM」が流れること流れること…。玉子が加えられただけのものを大層美味いもののように喧伝する映像を見ながら、この違和感の原因に気が付いた。僕はこの時期に限らず、常日頃から「月見メニュー」を食べているからなのだ。
この7月以降、僕が食べて写真を撮っていた月見メニューたち。玉子かけご飯とかインスタントラーメンなど、普通のメシ過ぎて写真を撮らないものの方が多いから、写真で紹介したよりももっと多くの「玉子を落として加えただけの献立」を食べている。
玉子を食べる、それも崩さずに月見にして食べる…なんてことは大した手間でもなければ本当に普通のことなのだ。各種ファストフード店で売られている「月見◯◯」をさぞかし有り難いもののように扱い、大喜びして食べている人の気が知れない。
そんなに月見と玉子が好きならば、今夜は目玉焼きを焼いて(なんならレンジで温めた偽モノの蒸し目玉焼きにして)、暑い屋外に出て月を見ればいいのに…と思う。まあ、ファストフードの月見メニューを好きな人は目玉焼きすら自分で作らないのかも知れない。